2005年10月21日

他者の幸せと自己満足

昨日の記事の続きです)

さて、路上でのファンドジング、その様子は少しお伝えできたかと
おもうのだが、さらに輪をかけてすごいのが、資金調達期間における
食・住の確保手段である。

ファンドレイジングは、ボストンやニューヨークなどの都市で行う
ことが多いのだが、その期間中のコストというのはプロジェクト予算
から出る。しかしながらその予算がありえないくらい少ない
のだ。結果として、泊まる場所はタダで貸してくれる場所を探さな
ければいけない。

オーソドックスなのは、教会、だ。

きょうびの教会は案外と冷たくて、なかなか泊まらせてくれない。
ようやくOKをもらって現地に着くと、床の上に寝袋で寝ることになる。
まぁわたしはすぐに寝られるが、そうでない人ももちろんいる。
しかもシャワーがないので、3日に一度くらいで電車にのってYMCAに
行くのである。3日連続でシャワーも浴びない、というのは初めて
だったが、とりあえずこの点に関してだけは夏でなくてよかったかも。

それから食べ物。これも、毎食何かを買って食べる、ということが
できない。じゃあ、どうすんのか?と。これは、レストランやパン屋を
めぐって事情を説明し、ちょっとずつわけてもらうのである。
中華料理屋さんとかはものすごい量のゴハンをわざわざ作ってくれ
たりして、気前のよさに感激である。

こうまでしなくても・・・とそのときはわたしも思った。
もっと頭を使ってお金集められるよね、と。

しかし、結局それは思い上がりだったことが後でわかることになる。

もちろん、一部は頭とネットワークを使って集めたのだが、
それだけでは決して気づけなかったことにたくさん気づくことができた。

路上でお金を集めているときに気づいた重大なこと。
それは、自分がいかに人を見た目で判断していたかということだ。

今から思えば恥ずかしすぎて書くのがためららわれるのだが、
最初の頃は、無意識に白人のよい身なりをした人ばかりに声をかけて
いた。多くの答えは、「時間がない、お金がない、興味がない」
いずれか。あまりにうまくいかないので、チームでうまく集めている子
をしばらく観察していると、彼女は10人通ったら10人に声をかけている
のだ。見た目や雰囲気でフィルターするということが全くない。

そして、ちょっとマネしてやってみると、実際お金を渡すのは、
いかにも「お金持ち」的な人ではなく、ホームレスと見紛うような
身なりの人だったり、ゲイのカップルだったり、高校生の男の子
だったりすることがわかった。お財布に6ドルしか入ってないのに、
5ドルくれた学生もいた。

自分がどれくらい持っているか、ということと、
どれくらい分かち合いたいと思っているか、
ということは、まったく違うんだ。

そして、自分がいかに上っ面でたくさんのことを判断していたか、
ということを思い知らされた。

また、「寄付」ということに関する考え方も変わった。
以前は慈善や奉仕に近いイメージだったが、実際に自分で集めてみると、
むしろ寄付も消費、もしくは投資の一部であるということに気づく。

すなわち、寄付とは、
「お金で社会にインパクトを与える機会を提供する」
ことではないだろうか。

それは、実際にお金を出してくれる人の期待感や心が動いたポイントを
観察していればすぐにわかる。

自己満足だ、と。
寄付のことをどこかで否定していた自分がいた。

でも、消費と同じだと考えれば、
自己満足であることがむしろ当たり前で、なんの不思議もない。

他者の幸せと自分の満足。
それがきちんと繋がりきってこそ、持続可能な関係が築ける。
そういうことなのかもしれない。

[明日も読みたいと思ったあなた★エール代りにクリックを!]

「夢から逃げない生き方入門」メルマガ登録! 

2005年10月20日

もうやれない度ナンバーワン

人生を振り返って、「あんなことはもう一生できないな」
と思うようなことは誰にでもあるのではないかとおもう。

わたしの場合、なぜかすべてが人生そういうことの繰り返しで、
むしろ「もう一回できるな」ということのほうが少なかったりする。

その中でもとりわけ「もうやれない度ナンバーワン」
アメリカで行ったファンドレイジング活動かもしれない。

「ファンドレイジング」というのは直訳すると「資金調達」という
意味だが、このときはブラジルに行くためのお金をチームで300万円
集めなければいけない状態だった。

どうやって?




路上で。

そうなのだ、赤い羽根募金よろしく路上でお金を集めて回る。
これが一番大きな資金調達の手段だった。

なんともシンプルで労働集約的なのだが、路行く人に声をかけ、
プロジェクトの内容を説明し、少しずつ寄付を募るのである。

お察しのように、この作業単純ではあるが、簡単ではない。
声をかけても冷たくあしらわれるか、下手すれば文句を言われる。
話を聞いてくれてももちろん寄付をもらえるとは限らない。それでも
この方法を利用しつづけているのには理由がある。それは、できるだけ
多くの人に自分たちがやろうとしていることを知ってもらい、
共感してもらい、また協力することによって活動の一部に参加して
もらうことがお金を集めることと同じくらい重要だからである。

しかし・・・

そんな理念的なことはどうでもよくなるほど過酷な環境だった。

まず、寒い。

真冬のボストンは、マイナス10度〜20度の世界。
これは、どれくらい寒いかというと、1時間も外に立っていると
真冬用のブーツなのに足が凍りそうになり、息をすると胸が痛くなる
くらい寒い。

この寒さの中を一日合計8時間以上路上に立ち、道行く人に声を
かけるのである。しかも、立っていても誰も振り返ってくれないので、
アグレッシブに自分から突撃して回るしかない。

「ハ〜イ!(異様なハイテンション)
 わたし、日本から来てるはるかっていうの!
 これからブラジルに行くんだ」
というところでつかむ。

ポイントは「コイツ、極東からわざわざボストンくんだりまで来て
なんで路上で金を集めてんだ?しかもブラジル?わけわからん」
というロジック上の混乱を引き起こすことである。
一瞬でも足を止めてくれたら、次の一打。

「ブラジルの貧困地域で、家っていくらで建てられると思う?」

質問作戦である。

氏素性もわからない日本人の女から突然質問を受ける、という
理不尽なシチュエーションながら、聞かれると答えたくなってしまう
のが人情というもの。

思わず答えてしまうと、そこから実は600ドルもあれば家が建つのだと
いうこと、そしてその家がどれほど必要とされているかどうかを
とうとうと説明する。

で、ころあいを見て「いくらだったら寄付できる?」と聞くのである。

「寄付しますか?」ではない。
寄付するのは人間なら当然、という顔で聞くことが大切だ。

ここまで来ても結局くれそうにない人もいる。
そういう人には、「一ドルも?!50セントは?10セントでもいいから」
と食い下がる。

なぜなら、だいたい寄付のほとんどは1ドル札かコインで、それでも
一日終わると200ドルくらいになっている。小銭が侮れないのだ。

ちなみに上記のような営業トークのフローは一日何百回も人に声を
かける中で確立されたようにおもう。

今のわたしはあんまり営業チックではないので、こういうわたしを
想像しづらいかもしれませんが、、、実はファンドレイジングクイーン
でした。

・・・この話を書き始めると終わらないのですが、ずっと書いて
おきたいと思っていたので、明日の分に続きを書こうとおもう。

[明日も読みたいと思ったあなた★エール代りにクリックを!]

「夢から逃げない生き方入門」メルマガ登録! 

2005年05月31日

ポルトセグーロの風

高校のときの親友が、ブラジルに行った。

彼女は、「アシェ」というブラジルのダンスにはまり、はまった挙句に
本場まで遊びに行ってしまったのです。

帰って来た彼女が、ポルトセグーロという「アシェ」の本場にあたる街
の写真を送ってくれたのですが、実はこの場所は私も訪れたことのある
場所で、ほんとうに懐かしくなってしまいました。

そのときは、たったひとり。

ポルトセグーロは、リオとサルバドールの間にある街で、ビーチに街が
ついている、といった風情。週末だけ都会から若者が訪れて、夜通し
ビーチに備え付けられた青空ダンスフロアで踊ります。

海は透明な澄んだ水色。
太陽がどこまでも眩しくて。

昼間からひとりビーチでビールやピニャコラーダを傾けつつ。
目を閉じて、波の音に耳を澄ませる。


↑この海岸線、ぜ〜んぶひとりじめ!大西洋です★


↑この木なんの木みたい。丘の上から大西洋を望む教会の前にて

[明日も読みたいと思ったあなた★エール代りにクリックを!]

「夢から逃げない生き方入門」メルマガ登録! 

2003年11月30日

ガールズパワー炸裂!

Grupo Primaveraの年に一度のイベントに行ってきました。GPに通う
女の子たちが自分たちで作ったミュージカルを上演する前半と、彼女
たちが中心となって作った手芸作品や食べ物を売るバザーの後半から
成り立っています。

ミュージカルは、180人もの女の子たちがかわるがわる舞台に上がって
飛んだり跳ねたり踊ったり。コーラスもあればアクロバットもあると
いう見ごたえのあるステージでした。衣装もおそらくすべて手作り。
とにかく若い女の子のパワー炸裂!という感じで、最後のフィナーレ
では耳が痛くなるほどの大騒ぎでした(笑)。

 

バザーでは、刺繍の入ったタオルやテーブルクロス、人形、エプロン
など家庭で使える小物がたくさんあり、結婚式の引き出物でいけそう
かもと思えるような商品が多かったです。それからひまわり模様の
エプロンを見つけました(買わなかったけど)。私のエプロン姿自体
想像し難い人が多いとは思いますが(誰だ?コスプレの域では・・・
と思った人!)、留学していたときはよく友達を呼んでホームパーティ
してたなぁ。懐かしい。日本でもやりたいな。前に住んでいた家なら
大勢でもいけたけど、今は狭いのでたくさんは呼べないのが残念。

 

2003年11月29日

捜索願い

ここしばらく更新できる機会がなかったので、そろそろ捜索願いでも
出ているのでは?!と思っています(笑)。連絡をいただいた方、
ごめんなさい、こっそり心配していた方、申し訳ない。無事で生きて
います。

しばらくインターネットに接続できない状況でしたが、繋がらなけ
れば繋がらないで平気なもんなんですよね。もちろん調べ物の類が
あるときは、切実にGoogleを欲しますが。

ここ一週間分の日記は更新しましたので、お時間のあるときにでも
読んでいただければと思います。ちょうど一週間アポイントがなかっ
たために起業日記というよりは旅行記になってしまいましたが(笑)。

明日からはまたいろいろな打ち合わせやイベントが入っているので、
リフレッシュした分よいパフォーマンスが出せればと思います。

2003年11月28日

ひとりの自分

朝10時のフェリーでAngra dos Reisへ戻る。ここからParatyへ出て一泊
しようと思う。Paratyまではローカルバスで二時間あまり。あまりに
揺れてバコンバコンするバスだったので、お尻が痛くなって大変だっ
た。それでも私はローカルバスが結構スキだ。生活の様子をたくさん
見ることができるし、面白い人と出会えることが結構ある。

Paratyにつく頃、残念ながらものすごい雨になっていた。石畳の素敵
な町並みなのだが、どうやらあまり出歩くことはできない。しょうが
ないので、ちょっと趣のある宿に泊まることにした。海に面した教会
広場にあって、木と石で作られたあったかい感じの場所。

宿には共同でくつろげる場所があったので、そこでなんとなくぼーっ
としながらいろんなことを考えた。

ひとりで旅をしていて思うのは、ひとりでいることっていいなってこと。
ひとりで好き勝手に自分のしたいことをしたいだけやって、その場
その場で出会う人と時間を共有するような瞬間がとても好き。ひとり
でお気に入りの曲をかけて、大声で歌を歌いながらドライブするのも
大好き。

それは、日本での私の生き方とはまったく正反対だ。日本だったら、
いつも友達と一緒にいたり、人に会ったりしていて、自分は人に囲ま
れていないと辛くなってしまうような寂しがり屋なのかなって思う
ことがある。もしかしたら外から見てもそういう風に見えることがある
かもしれない。

でも本当の私はどちらなのだろう?

誰も知らない場所でひとりになりたいと思うのは、いろんな物事や関係
をリセットしたくなるせいかもしれない。ある一定の成功をおさめた
瞬間や、自分の評価がなんとなく固まってしまったとき、それがいかに
よいものであったとしてもなんだかいてもたってもいられなくなって
しまう。ゼロから新しく何かを創りたいという欲求に駆られてしまう。

ふと、ある言葉を思い出した。

「今手の中にあるものを捨てなければ、新しくよりよいものを掴み取る
ことはできない」

たぶんひとりになることは自分の手の中にあるものを「捨てる」ため
の、そして今の状態を「リセットする」ための、私にとってのイニシ
エーションなのだろう。より自分にとって価値のある、きらきら輝く
何かを手に入れるために。

2003年11月27日

Lagoa Verge

朝の10時にLagoa Verge(緑のラグーン)を目指してボートが出発。
目を開けているのも辛いほどのものすごい日差し。今日一日でめちゃ
めちゃ焼けそうだ。

出発してから乗客のチケットを確認しに船員がまわってきたのだが、
私はすでに別の船員にチケットを渡してしまっていた。いろいろ説明
をしたのだが、結局どうやら船に乗り間違えたらしいということが
判明。もちろん乗るときに確認したのにもかかわらず、だ。

間違った船に乗った上チケットもない。まるでマヌケな不法移民の
ようだが、船員の兄さんは「まぁ、心配するな」と平気そうなので
私も気にしないことにした。なにしろ船を動かす会社が違っていても、
目的地が同じならどっちでもいいのだ。

***

二時間かけてボートは島の外れまでやってきた。Logoa Vergeはその名
の通り明るい緑の海だった。シュノーケルギアをつけてザブンっと船
から飛び降りる。いつも思うのだが、あのフィンを発明した人はほん
とうにすごい。あれをつけるとひょいっと足を動かすだけで、まるで
自分が人魚になったような気分になれる。まぁ、もちろん気分だけ
なのだが。

水の中は魚がひらひらと泳いでいる。よくダイビングなどで「水の中
が別世界で感動した」というようなコメントを聞くが、いまだにピン
とこない。う〜ん、「魚は魚だよな」っていう感じ。もっと深くもぐっ
たら違うんだろうか。いちどちゃんと潜ってみたいなぁ。

***

船は、Lagoa Vergeを後にすると、今度は砂浜のビーチエリアに乗客
を降ろした。乗っていた船以外はまったく船影もみあたらず、普通の
民家がひっそりと立ち並んでいるだけだ。地元の子供たちが、海の中
で遊んでいる。こんな風に育ったらさぞかし海はトモダチなのだろう
とちょっとうらやましくなる。と同時にこんな風に毎日観光客が一日
一時間だけ訪れては去っていくのをどのように思っているのだろうと
考えた。

2003年11月26日

Ilha Grande

バスでAngra dos Reisという港町へ。ここからIlha Grandeという島へ
向かうフェリーに乗るためだ。フェリーは一日に二往復。朝の8時と
午後3時半のみ。バスが昼過ぎについたので、ぼーっと3時間あまり
フェリーを待つ。

2時くらいからあれよあれよという間にフェリーに日用品、食べ物、
テレビから冷蔵庫まで次々と運び込まれ始めた。そう、想像しづらい
けれど、島の人たちにとっては、このフェリーが島外からの運搬の
唯一の手段なのだ。島の中で作れないものに関しては外から運んで
くるしかない。嵐が続いたりしたらどうするのだろう。

・・・よく考えてみたら日本もまぁスケールが違うだけでおんなじ
ようなものかもしれない。島の中で作れるものはほとんどなく、外
から毎日のように船やら飛行機でせっせと必要なものを運び入れて
いるのだから。

***

フェリーで一時間半。Ilha Grandeへ到着。この島についた瞬間驚く
のが車がないということだ。観光案内所を訪ねると、一番近いビーチ
までも山を越えて二時間半歩くか、ボートしかないという。どうやら
ボートツアーがスタンダードのようなので、明日はツアーに便乗しよう。

2003年11月25日

金鉱

せっかく有名な金脈に来たのだからと、金鉱を訪ねることにした。Mina
de Passagenと呼ばれる場所で、30キロに渡って、最大で9層にもなる
トンネルが掘られた金鉱だ。なんというか、「人の欲」がここまでの
大事業を可能にさせたかと思うと「欲」というのも本当にたいしたも
のだと感心する。

入り口からは、骨だけのトロッコのような乗り物にのり、トロッコは
ケーブルで上げ下げされる。トンネルに入り、結構なスピードで金鉱
に下りていくのは、どこかのアミューズメントパークのライドのよう。
そのわりにはバランスでも崩したら余裕で転がり落ちそうなところだ
けは違っているけれど。

ガイドの人は、ポルトガル語で一生懸命説明してくれた。あちこちの
壁に水晶や鉄、銅などの鉱物や結晶がむき出しになっていて、その
豊富さに驚かされる。この金鉱では、金の塊が取れるわけではなく、
鉄などと一緒に石にまざった金が採掘されていた。つまり、石をガン
ガンと切り出して、地上で砕き、さらに水の中で選り分けてはじめて
金として残るという途方もない手順が必要とされる。もちろんその
労働力はアフリカから連れてきた奴隷によってまかなわれ、子供も5歳
から働いていたという。

彼らの印象的なエピソードにシコ・ヘイという人物がある。彼はアフ
リカの部族リーダーだったがブラジルの金鉱で働かされていた。しか
しながら奴隷として働きながらも昔と変わらず周りの人を組織化し、
常にリーダーとして生き、最終的には自分の労働で自分の自由を勝ち
取ったという。

どんな環境にあっても、誇りを失わず、希望を持ち続け、心を強く持っ
てやるべきことをやり通すこと。こんな生き方に憧れる。

2003年11月24日

石フェチ

ミナスジェライス州は、あらゆる鉱物の宝庫。Ouro Pretoにある鉱物
博物館を訪れると、何トンもありそうな水晶の塊や、ダイヤモンド、
エメラルド、トパーズ、アクアマリンを始めとした宝石、それから
孔雀石、雲母などの面白い石が数え切れないほど展示してある。

石を見て面白いと思うのはあまり一般的ではないのかもしれないが、
私は石フェチかもと思うくらい石好きだ。オーガニックでないのにも
かかわらず、あれほど複雑な形や色をもち、また時に信じられない
ほどに規則正しく並ぶ結晶は本当に美しい。

いわゆる宝石にあたらない石もいい。昔から旅行と言えば化石を発掘
しにひとっこひとりいない谷でハンマーを振るっていた家族だったが、
石の間から魚がでてきたり、葉っぱがでてきたり、ウミユリが顔を出
したりするのはとてもわくわくする体験だ。

それから、光を通すとモノが二重に見える結晶や、パリパリと手で
剥がすことのできる性質を持った石、石鹸のように柔らかいソープ
ストーンなんかはそれだけでしばらく楽しく遊べてしまうのだ。

う〜ん、この楽しさを文章で伝えるのは難しい・・・。

***

夜、ミナス料理と一緒に久しぶりにカイピリーニャを飲んだ。カイピ
リーニャは、サトウキビから作られるピンガあるいはカシャーサと呼
ばれるお酒にライムを砕き入れ、砂糖を足して作る。口当たりはよいが、
非常に強い酒なので3杯目くらいで結構酔える。同様にピンガの代わり
にウォッカを使うとカイピリョースカと呼ばれ、私はどっちかというと
このカイピリョースカのほうがおいしいと思う。しかもどっちも160円〜
240円くらいで飲めるのだから経済的である。

2003年11月23日

Ouro Preto

今回の訪伯の間には是非Foz do Iguacu(イグアスの滝)を訪ねたいと
思っていたのですが、飛行機のチケットが5万円、バスだと往復40時間
という旅になるので涙をのみました。代わりに今日からミナスジェラ
イス州を中心にウロウロのんびりしてみたいと思います。

サンパウロからバスで8時間、町全体が世界遺産に登録されているOuro
Pretoを訪ねました。Ouro Pretoはミナスジェライスで発見された金鉱
を中心に栄えた町ですが、今でも非常に美しい町並みを残しています。

ひとつの町にこれでもか!というくらいたくさん教会があるのですが、
ある教会の前でなんと財布を拾ってしまいました。これは非常に珍し
いことで、通常はあっという間に誰かに取り去られてしまうはずなの
ですが。。警察にそのまま届けるというのが日本では普通ですが、
そうするとおそらくそのまま没収されてしまうような気がして、いち
おう自分で中身を確かめることにしました。すると、IDからフランス
人のリオでインターンをしている学生らしいことがわかり、電話番号
も判明したため直接連絡がとれそうだと安心しました。

とりあえず財布をしまって坂をゆっくり登っていたそのとき、上から
この町には似つかわしくないスピードで駆け下りてくる若者が。なぜ
かわかってしまいました。彼はきっと財布の持ち主。

「オーイ!財布落としたの、君?」
「ええっ?そ、そうそうそう!!!」
「ハイ、これでしょ?」
「うあ〜、よかった〜、神様どうもありがとう〜〜〜!でもなんで
 わかったの?」
「だって、この場所であんなに真剣な顔で走ってる人なんていない」
「おお、そうか!あ〜、よかったよかった〜。教会の前でズボンを
 着替えたときに落としたんだ」

教会の前でなぜ着替える?と思いつつ、このローレンス青年の屈託の
なさに思わず笑ってしまった。誰とでもすぐ仲良くなって、身勝手さ
がまったくなく、ちょっと抜けていて、でも身の回りの困ったことを
結構ラッキーに切り抜けてしまう、こういうタイプの人はどの国にで
もいる。そして、どこにいても周りの人に愛されてしまうチャーミン
グな人だ。

ちなみに彼はその日、夜のバスで帰るつもりが予約が一杯になって
いて、別のバスで乗り継いでリオまで帰ることになった(笑)。
まぁ終わりよければすべてよし。

2003年11月20日

顔の見える関係

今日予定していた団体の担当者がどうしても都合がつかなくなり、再
スケジュール。こういうことはかなり頻繁にあります。しょうがない
ので、後にまわしていた場所を先に訪れることにしました。

MundareuProjeto Terraという二つのお店で、ブラジル全土からNPO
で制作した商品を集めて売っています。非常にユニークで面白い商品が
多いのですが、とにかく値段が高い!立地も、マダムが住んでいそうな
エリアで、車でしかアクセスできないような場所にあります。お金持ちの
アルタナティブ系の人がプレゼントを買いにやってくるようなイメージです。

個人的なプレゼントマニアとしては、触覚をくすぐられるような商品
がいくつかあったのですが、企業向けでそのまま売れそうなものは少
なかったです。あとはこういう店にありがちな、ユニークすぎて使い
勝手が悪そうな感じのものも結構多かったような気がします(笑)。
微妙なラインなんですけれどね、ユニークでかつ使い勝手のよい品と
いうのはなかなかないものです。

また、ひとつひとつのタグに生産者の情報が書いてあるので、個別に
気に入った商品があればやはり直接生産者の団体を訪ねるのが
本筋だと思いました。

いくらタグに少々の説明がついていても、「是非この商品を地球の裏
に運んでまで売りたい!」と思うほどのエナジーを感じません。
そこで働いている人を知っていて、団体のよさや苦労をわかっていて、
空気を感じて、そうして初めてパートナーとして信頼を築いていける
と強く思いました。

そういった自分に気づいたことが非常に大きな収穫だったと思います。

↓Projeto Terraで見つけたクッション。日本円で2,000円くらい

2003年11月19日

リオ支店

リオのアパートを朝チェックアウトしたのですが、初めてフロントの
男性がとってもかっこいい!ということに気がつきました。う〜ん、
ベン・アフレックとキアヌ・リーブスを足して2で割った感じ。私は
あまり男の人の顔の良し悪しはよくわからないほうなのですが、
彼は間違いなくイケてました。

しかし、このベン(仮名)、チェックアウトに異様に時間がかかる。
電卓があるのに、何度も税金の5%を計算しなおし、インターネット
の利用料を足しそこない、クレジットカードで引き落とした後にレシー
トを作るのにまた一苦労。一生懸命レシートにチャージを計算して
書き込んでいる姿は、小学校6年生が算数の宿題をやっているの
を彷彿とさせます。

結局15分くらいかかって、最後に自信満々で「PAGO(PAID)」の
スタンプを押してくれました・・・。いい男でなかったら間違いなくイラ
イラさせられるところですが、「かっこいいのでまぁ許す!」(笑)

そして、出るときになって、お向かいの壁にこんな文字を発見!!

F社よ、い、いったいいつの間にリオ支社を?!

***

再びサンパウロまで戻ってくるのに、バスで6時間。しかし、珍しく
バスの中で起きていたせいか、次々と面白いアイディアを思いつき
ました!!人間頭は使えば使うほどいろいろ出てくるものですね。

2003年11月18日

Coopa-Roca

18万の人口を抱え、南米最大の貧民街と言われるRocinhaで、女性の服飾
協同組合を運営しているCoopa-Rocaを訪ねました。Coopa-Rocaが通常の
開発地域における共同組合と一線を画しているのはそのストラテジーに
あります。

彼らは、安い素材で安い商品を生産するのではなく、とびきり高級な素材
に付加価値の高い技術を重ねることで従来とは全く違った都市のファッシ
ョンエリート市場へのアクセスを得ました。

日本で買っても高い!と思えるようなブランドやデザイナーと提携して商
品を卸し、ベルリンやロンドンでファッションショーに参加する。その立
役者である女性たちは、以前は全く現金収入の手段を持っていなかったと
いうのだから驚きです。

前回取材したときにCoopa-Rocaを作ったTete Lealの印象的な言葉が今で
も忘れられません。
"Poor plus poor equals poor, but poor plus rich equals new possibilities."

ビジネスの特質を理解し、新しい視点で社会の課題を解決していく手段を
生み出し続ける彼女はまさに社会起業家と呼ぶにふさわしい。

***

Teteに連れられて二度目のRocinha訪問。切り立った山に連なるように立
てられたレンガの家々、そしてその家や壁が作るトンネルをくぐり抜けて
上っていきます。突如としてその壁の間に肉屋さんや駄菓子屋さんがあら
われたりします。本当に不思議な空間で、文章では表せないのが残念です
が、とにかく子供や老人や犬や猫やらがその狭い通路を走り抜けたり、
よろよろ歩いていたり、座り込んでいたりするのです。

Coopa-Rocaもまさにそんな家のひとつを改造して作られており、昼過ぎに
なると、たくさんの女性が集まってきて刺繍や服の制作を行っています。

様々な商品を見せてもらいながら、どんなコラボレーションが可能か議論
が進みます。小さなビーズ細工や刺繍程度なら、10日で500オーダーは可
能ということなので、万単位は難しいと思いますが、それなりの数は出せ
そうです。なにより、Tete曰く仕事が欲しい女性はいくらでもいる、と。
今日訪れたときも着々とトレーニングがなされており、今後新しい建物に
移って、より多くの女性を巻き込んでいく予定だということなので将来的
な生産能力は現在の2倍から3倍程度になると思われます。

そして、Coopa-Rocaの場合には完全なオーダーメイドになるので、彼らの
持ち味であるビーズ細工や独特の刺繍の特徴をつかんでおきさえすれば
都度デザインを渡して作ってもらうというプロセスになります。

今日実際のプロセスを詰めていて思ったことは、タイミングがものすごく
難しい商売だな、ということ。先にお客さんを捕まえると、サンプルを
作ってもらった挙句に値段が折り合わないことや生産能力が追いつかない
場合が当然ある。逆に商品ありきだと、顧客のニーズにぴったり合った
ものを見つけるというのはほぼ不可能に近い。個人向けでストックを持つ
のなら商品ありきでよいのですが、法人向けにカスタマイズした商品を
売ろうと考えている以上基本的には顧客ありきです。

今更何言ってんの?と言われそうですが、改めてめちゃめちゃ難しい!!
と思います。果たしてこれだけの手間をかける意味があるのか?という
思考が頭をよぎったそのとき、Teteが発した言葉にはっとしました。

「あなたはこれからたくさんの人を助けることになる。がんばって」と。

2003年11月17日

Viva Rio

いよいよリオでの一発目。Viva Rioを訪ねてきました。Viva Rioは、今年で
丁度10年目を迎える組織で、貧困改善、女性の地位向上、銃規制から情報
教育まで、リオデジャネイロにおけるありとあらゆる類の社会問題解決に
向けて活動している団体です。6月に訪ねたViva Favelaという貧困地域で
のIT教育と情報格差の解消を目的とした組織もViva Rioの一部。

Viva Rioのフェアトレード部門は、2000年から始まっているので割合と新し
いにもかかわらず、すでに多くの国内パートナーを持ち、アメリカやヨー
ロッパへの輸出も行っています。担当のAna、上司のMarta、デザイナーの
Monicを交えての打ち合わせ。

Viva Rioはすでにドイツの会社にカスタマイズしたTシャツを輸出した経験
もあるということで、基本的なアイディアに関してはすぐに通じました。
Viva Rioオリジナルの商品と、提携する13の共同組合、さらに各種NGOが
生産している商品を集めているため、生産能力、値段に関しては個別に確認
する必要があります。

服や雑貨類が主ですが、Tシャツのような単価の安い商品であれば、意匠だ
けを借りて別途生産し、ロイヤルティを還元するような仕組みのほうがすっ
きりするような気がします。各種デザインも貧困地域の若者を積極的に雇っ
て仕事をしてもらっているので、面白いものが多い。Viva Rioとしても、
さほどのコストをかけずにリスクフリーで始められるというメリットがある。

どれだけよい商品があっても輸送コストを加味すると、とても市場にのせら
れないだろうと思えるような場合が多いです。実際にモノを動かすことを
付加価値と考えるかどうか。それに対して「スマートな仕組み」もひとつの
価値。個人的な好みとしては後者です。「わざわざやる」ことのよさもある
と思うけど、私的に「セクシー」なのは、少ない資源で工夫や知恵によって
より多くの人がハッピーになること。そのために今後「情報」の価値はいよ
いよ大きくなるでしょう。JusTradeの「Trade」は必ずしもモノだけではなく、
将来的には人材や情報、アイディアやコンセプトのTradeに拡大していくこと
で、様々な方向から人々が生活の中により広い視野を取り入れることので
きるような「意識の変革」を促す組織にしていきたい。

***

たくさん自分の想いを伝えた後、別れ際にお礼を言ったら、Anaは「I just
wanna help you!」と返事をくれました。なんというか、こっちが助けられ
ちゃってます。でも実はそれもそのはず、Viva Favelaは、現在パートタイム
を含め800人を雇い、ボランティアを入れるとなんと2,000人を越える大所帯。
800人というと、そこいらの企業よりよっぽど大きい。もちろんこれには
理由もあって、ひとりでも多くの若者や貧困層の人材に職を提供できるよう
にある種のワークシェアリングのような環境になっています。彼らはViva
Rioでわずかでも仕事をした経験を通して、その後別の企業なり組織なりで
雇ってもらえるだけのスキルを身につけていくのです。オフィスでは、見た
目も年も驚くほどバラエティに富んだ人たちが皆楽しそうに働いているのが
印象的でした。

銃規制キャンペーンのTシャツ(銃弾と口紅の組み合わせです)↓

TreeTapというアマゾンで生まれた地球に優しいゴム素材を使ったカバン↓

しかし、現地ですでに5,000円くらいなので、こいつはちょっとやそっとで
はムリ・・・。JusTradeから離れて売ろうと思ったら15,000〜20,000円くら
いの強気の値段をつけて、オンラインの専門ショップでも作れば売れるかも。
結構ありますね、そういう究極のクオリティを売りにマニアックなオンライン
ショップで売上出してるお店。買うほうからすると「私だけが知ってる」と
いう欲求を満たしてくれるのでしょう。

それにしても結構楽しい。「これ、どうやってどんな人になら売れるか
なぁ」って考えるの。それって、結局のところ「この商品、どんな環境の
どんな人を幸せにできるんだろう?」っていうのと同じかもしれない。

2003年11月16日

露天市

今日は日曜日です。リオでは、大きな露天市がたち、大変な賑わい。ちょう
どアパートから数分の場所だったこともあり、さっそく行ってきました。
実は、この露天市、前回来たときも立ち寄って、色んな掘り出し物を見つけ
たので、今回も期待しつつ。

Lilyおばさんがひとつひとつ丁寧に作る革のカバン、やっぱり素敵。スーツ
ケースごとハンドバッグを失くしてしまったので、彼女のところで買うこと
にしました。迷った末、コレ。

それから、前回チャリティパーティで売って人気があったアート系のコース
ター。これは、ホントによくって、リセールできないかな〜と思って色々
聞いてみました。すると、パウロとアルベルトの兄弟を中心に家族で作って
いることがわかり、日曜日に露天で売る以上の生産はとても無理!という
答えでした。

う〜ん、しょうがない!とりあえずコースターやもう少し大きいものをのせ
られるサイズの品をいくつか選んで、買うことに。日本に帰ったら、身近な
人を相手に掘り出し物市を開こうと思います。世界でたったひとつの手作り
商品、プレゼントにかなりオススメです。

***

き、着るものがない!

午後は、とにかく着の身着のままなので、服を調達しようと思ってRio Sul
というショッピングモールに行きました。

・・・でかいです。途方もなく。

あまりモノを買う気分でないときに「買わなきゃいけない」というのはなか
なか苦痛なものだ、ということがわかりました。

しかし最低でも下着、明日着ていく服、寝るときに着れる服、靴、は買う
必要があったので、うろうろうろうろ。

値段は日本で買う半額くらいでかなり質のよい品が手に入るので買い物好き
にはたまらないと思うのですが、問題は、絶対的に布の量が少ないという
ことです。下着にしても、シャツにしても、せ、セクシーすぎます。

そして極めつけは水着。イパネマに泊まっていて、ビーチまでわずか5分なの
に今日は水着を失くしたせいで涙をのみました(気温30度のビーチ日和)。
やっぱり水着はいるよ、と思ってお店に行ったのですが、案の定どのビキニ
もつけてるのかつけてないのかわかんないくらいのサイズです。日本の水着
って、パッドが入っていますが、ブラジル製にはそんなものはありません。
上げ底で胸が大きく見えるのをセクシーとみるか、そのまんまゆえの生々し
さをセクシーとみるか。女性心理的には前者だと思うのですが、男性は後者
なのかもしれませんね。だまされた!みたいなのも悲しいし(笑)。

いろいろ試着して、なんとか妥協できるものを見つけましたが、それでも
元々持っていた水着の2/3くらいの布しか使ってなさそう。白地にハイビス
カスの赤と緑の葉っぱ模様なので、なんだかアマゾネスになっちゃった感じ
です。この水着は間違いなくブラジル専用なので、ブラジルまで一緒に来ら
れる人だけは見られます。

まぁ、ほとんど誰も見れないってことですね、要は。

2003年11月15日

仕組まれてる?!

昨日失くしたスーツケースを、宿主のMariaがバス会社に電話して確認して
くれましたが、やはり簡単には見つからず。十中八九は降ろされて引き取り
手がいないと見るや、さっさと盗られてしまったのでは、と思います(涙)。
せめてもの救いは、服や靴などお金で買えるものが多かったことくらいで
すが、日本製の水着だけは惜しまれます。

そして、今朝ちょうどMariaが家族の所有する農園に行くというので彼女の
兄という人が迎えに来てくれたのですが、なんと実は彼の仕事は警察での
遺失物管理だということが判明。

し、仕組まれてる?!

と思うほどの偶然ですが、彼とMariaが休日にもかかわらず警察署まで一緒
に行ってくれて、書類を作ってくれました。とりあえずこれでバス会社か、
海外保険の会社から何らかはブン取れるだろうと思います。

なんていうか、こう「トルーマン・ショウ」のジム・キャリーになったよう
な気分です。この世界全体が誰かの意図で作られていて、どこかでいつも
誰かが見ていて、その上何もかもが仕組まれていて、世界の果てには壁が
ある、みたいな(笑)。

でも、逆に「何が起きても絶対なんとかなる」という変な確信ができました。
ただ、これはその時その時に目一杯できることをやり続けるならば、という
条件つきですが。どこかで諦めてしまったり、妥協をしたら、きっとその
程度のものしか手に入らない。諦めずに打開策を見つける努力を惜しまなけ
れば、何が起きてもまぁ大丈夫になるようにできてるような気がするのです。

こんな考え方ができるようになったのは、ブラジルでいろんな突拍子もない
目に遭ったおかげで(たぶんこれからも色々待っています)、以前に比べて
少し肩の力が抜けたかなぁと思います。この国では人智の及ばないことが
多すぎる・・・。

***

さて、ピストルを平気で片手にブラブラさせているポリスマンのひしめく
警察署にお邪魔した後は、その足でリオに向かいました。地図上では、
ものすごく近いのですが、実際はバスに乗って6時間弱。意外ですが、ブラ
ジルのバスは日本やアメリカの長距離バスよりも快適です。おやつもでる
し(嬉)。隣にボブサップ顔負けサイズのブラジル人が座っていたことを
除けば特に困ったこともなし。

リオでは、短期で貸し出しているアパートメントに泊まることにしました。
かの有名なイパネマビーチのある地域ですが、微妙に治安はそれほどよく
なさそうかも。アパートの周りは鉄条網で覆われた巨大な壁。表通りからは
少し入った場所で、う〜ん、夜にひとりで歩いていたらあっという間に強盗
に遭いそうだなぁ。ブラジルだと、怪しい人に気をつけるとか気をつけない
じゃないんですよね。そういう道で、そういう人に目をつけられてしまった
ら、気をつけていようがいまいが向こうはやってきてホールドアップに至り
ます。

明るいうちはまず大丈夫と思いますが、暗くなったらタクシーのほうがよさ
そうな感じ。お金を盗られてももちろん困りますが、それ以上に怪我させら
れたり、レイプや強盗殺人の被害者になってしまったら元も子もありません。
そういうことが容易に起きそうな場所、という意味ではやはりとっても危な
い国だと感じます。「柔道二段」とかどっかに書いてあったら襲われること
はないかもしれませんが(笑)。

2003年11月14日

塞翁が馬

13日、昼にホテルをチェックアウトしてから、空港で飛行機待ち。夜の10時
のフライトなので、相当な時間でしたが、幸いにも電源のアウトレットを発見
し、仕事してました。

そして、昨日荷物を引き取れなかったので、いちおう確認しておこうかとコンチ
ネンタルのサービスセンターに行くと、「ない」と言われ真っ青に。ところがよく
確認してみると、昨日飛行機の遅れでノースウェストに振り替え搭乗になった
ため、そっちで預かっているということが判明。

こ、このままだったら絶対ブラジルまで行き着いてなかったよな、荷物。

と思いながら、ノースウェストで荷物を手に入れ、再度コンチネンタルでチェック
イン。ちなみにこの二つのターミナルは、「空港電車」で移動しなければいけ
ないほど遠かったです。しかも昨日の大活劇のおかげで体が筋肉痛だし。

そして、夕方6時くらいからゲートで待っていたのですが、9時になっても飛行
機が現れず、変だな〜と思っていたら、「遅れてます」!!

結局2時間遅れで真夜中出発になりました・・・。昨日は一秒たりとも待っ
てくれなかったくせに、なんで今日は遅れるのか。

***

14日朝、よう〜やくブラジルに着きました。11日に出発したのに、着いたのは
14日。丸3日です。

午後にすでにアポイントが入っていたため、空港から直接打ち合わせに出向
することにしました。これがまたサンパウロからバスで一時間半ほど離れた
Campinasという場所で、バスターミナルからは迎えの車です。迎えに来てくれた
ウォールトンという男性と久しぶりにポルトガル語を話して、「あれっ?まだ
ちゃんとしゃべれるじゃん」と少しうれしくなりました。

今日たずねたのはGrupo Primavera(GP)という女の子のための職業訓練
と学校外教育を行う組織。前回も訪ねた場所だったので、楽しみでした。

入り口を入ると、「Bem Vindo Sr. Haruka」とでてます。GPのトップである
Janeのオフィスに入ると、懐かしい顔が!思わず抱きついてしまいました。
Janeは中国人の女性で、旦那様についてブラジルに来たのですが、ふとした
きっかけからGPの母体を作ることに。それから持ち前のチャレンジ精神と
ビジネスセンスでGPを200人の生徒を抱えるまでに成長させてきました。

実は、JusTrade、たぶんJaneに出会っていなかったら始めることにならなかった
と思うんです。それくらい、私にとってはすごく大きな影響を与えてくれた女性。

あったかくて、ユーモアに溢れていて、私のことをまるで娘のように接してくれて。
私の想いにもすごく理解して、共感してくれて。なんというか、商談というよりは、
商売や組織運営の先輩からたくさんアドバイスをもらった感じでした。

商品に関しては、ざっとだけ確認して、また再度訪ねることにしましたが、
いくつか「これはいけそう」というのがあります。GPの商品は質がよく、生産能力
も高いため、直感的に問題はたぶん値段になってくると思います。

あまり遅くなると危ないので、今日はそこそこで引き上げることにしたのですが、
Janeがバスステーションまでわざわざ送ってくれました。切符を買って、荷物を
入れて、バスに乗り込むところまで見送ってくれて。なんだか本当にお母さん
みたい(笑)。

***

渋滞のせいでサンパウロに着いたのは夜10時。ここ3日くらい夜だか昼だか
わからない生活をしているのでなんだかぼーっとしています。手荷物を忘れ
ないようにしっかり持って、バスから降りました。

久しぶりにPao de Quejoというブラジルのスナックを食べたくなって、オーダー
したその瞬間!!!

「あっ、スーツケースを忘れた!」

そうです、大きなスーツケースをバスの下に収納してもらっていたことをすっかり
忘れていました・・・。

急いで戻りましたが、すでにバスは跡形もなく。荷物を降ろしたのかどうかすら
わかりません。

あぁ、カナシヤ。

とりあえず悲しんでいてもしょうがないので、バス会社のカウンターに出向くと、
「たぶん折り返しでCampinasに行ってるんじゃない」とのこと。明日の朝
電話確認をして、取りに行くことにしました。でも、すでに降ろされて誰かに
盗られちゃってるかもしれないけど(涙)。

幸いにも、昔飛行機でスーツケースを失くしてからというもの、大事なものは
絶対に手元から離さないようにしています。なので、ほんとうに見つからなく
てもせいぜいが服や靴、下着、常備薬といった程度。他に何を入れていた
のか思い出せないし。

日本を離れてたった3日ですが、あまりの波乱万丈さ加減に自分でも驚き
ます。まったくのノンフィクションなのですが・・・ある意味見守っているほうに
とってみると、ハラハラドキドキだなー、とどっかから冷静に眺めている自分。

禍福はあざなえる縄のごとし。
塞翁が馬。

そんなことわざが頭をよぎるサンパウロの夜更け。

2003年11月13日

大事なこと

弱気のエントリーにコメントやメールでのメッセージ、ほんとうにどうもありがとう
ございます!改めて、いろんな人に応援してもらっているなぁと感動して
ちょっと泣いてしまいました。こんな風に、楽しいことも、辛いことも、感情の
幅をいっぱいにして人生を生きていけるのも、「起業」という自分の足で歩い
ていく生き方の醍醐味なのかもしれません。

あせらず、足元を固めながら進もうと思います。

***

さて、もうひとつ自らも驚くようなニュースが!
実は、ま、まだブラジルに着いてません。。。
昨晩NJ州、ニューアークにて足止め。デトロイト−ニューアーク便が天候不良
のため遅れ、飛行機がついたときにはすでに搭乗予定便は海の上。

ニューアークでは、そうと知らず、飛行機から飛び降りて、セキュリティチェックの
ラインをバックパックをひっかけながら潜り抜け、超スピードで靴を脱いでゲート
を通り、外したベルト片手に飛行場内のトラム電車に飛び乗り、動く歩道を
駆け抜けて、やっとたどり着いたC134ゲート。

だ、誰もいない・・・

こんな障害物競走も真っ青なアクションを繰り広げた甲斐なく、すでに飛行
機は飛び立った後でした。

脱力しつつ、コンチネンタルのサービス係のところに出頭すると、「ああ、ブラジル
ね。ごめん、残念だったね」と笑いながら言われた日には涙も出てきません。

しかし、ちょっと話していると、このリチャードという男性。超キュート!なことに
気がつき、若干機嫌直りました(笑)。ワールドカップのときに日本に来たこと
があって、タコヤキがうまかったとかくだらない話をしただけなのだけれど。
Asian Americanかと思いましたが、両親はエクアドル出身で、本人はアメリカ
生まれのアメリカ育ちだそうです。

そして、もちろん飛行機会社からホテルの部屋と食事は提供されましたが、
多くの人が同様に憂き目にあっていたため、シャトルのバンがとっても混んで
ました。

そこで、少し悲しいことがあったんです。それは、シャトル乗り場でのこと。特に
列になって並ぶとかそういうわけではなかったので、なんというか早い者勝ちに
乗っていく感じだったんですね。

それで、私も一本待ってから乗ったのですが、同じくらいから待っていた黒人
のおじいさんと、たくさんの荷物を持った赤ちゃん連れの黒人の若い夫婦が
乗り損なってしまいました。寒い中、彼らはまた20分も待たなければなりません。

弱い者が残された・・・そう思いました。

後から、何で私はあの時に自分が降りて譲ってあげられなかったんだろう、
とそう思って悲しくなりました。私が降りたらもしかしたら他の人も譲ったかも
しれない。それか、割り込んで乗ってきた人たちに譲るように言えばよかった、
って。

飛行機に乗り損なって、予定が狂うのに苛立って、自分のことしか考えられ
なくなった瞬間。身近なレベルで自分の身勝手さを感じて愕然とした。

幸せで満ち足りた瞬間なら誰だって優しくなれる。いつもいつでも強く正しく
いられるわけじゃないってわかってるけど、自分が辛いとき、大変なときに
こそ身の回りの人のことを思いやることができなかったら意味がない。

飛行機に乗り損なったおかげで、大事なことを学びました。

2003年11月12日

覚悟

デトロイトから無事をお伝えします。えっ?ブラジルじゃないの?という方、
肩すかしでごめんなさい。まだブラジルじゃないんです、実は。というのも、
航空券の関係上デトロイト経由にしたので、今晩サンパウロに立つんですね。
(そう、あの失くしたと思っていた航空券です ^^;)

とりあえず体は無事です。

でも・・・

怖い。

すごく怖くて心細いです。

ブラジルでまともに商品として仕入れて採算が立つようなものが見つかる
だろうか?ここで納得のいくものが見つからなかったら、あるいは一緒に開発
していくだけの基盤を作れなかったら、契約の基本的な部分に合意できな
かったら、それよりなにより私のビジョンを深いところで共有してもらうことが
できなかったら?

こんな考え方、私らしくないってわかってる。
精一杯やるしかないって誰よりもよく知ってる。

でも、ほんとうは、とても、怖い。
怖いって思う自分から逃げられない。
そんな自分に向き合うのはもっと怖い。

日本にいると、どれだけたくさんの人がそばで支えてくれたのかがすごくよく
わかった。本当はひとりだってこと、忘れてしまうほどに。そんな人たちのため
にも、がんばろう。

今私になによりも必要なのは、「覚悟」だと思う。
たったひとりでも前を向いて、自分を信じて歩いていくための覚悟。

2003年11月11日

お騒がせしました!

航空券、相変わらず見つかりません。
が、自分でもビックリするほどすごいオチが待っていました!!

Continental Airに電話して確認したところわかったこと・・・
なんと手元にあったのは単なるレシートで、予約はE-Ticketだった!

つまり、予約番号だけ持ってればOKっていうやつだったんですね、ハイ。
でも、送られてきたレシートが、航空券に酷似しているやつだったので、
てっきりあれが航空券だと思っていたのです。で、この8時間あまりという
もの部屋の中を探し回り、自らの寿命を縮め、友人の肝を冷やした
挙句がこんなマヌケでほんとに申し訳ない。

いや〜、しかしおかげで普通にブラジルに行けるだけなのに、ものすごく
うれしくなってしまいました。超ハッピー(単純)。

***

さて、この日記ですが、向こうでもできるだけ更新をしていきたいと思います。
ただし、インターネットへの接続がきちんとできる日とそうでない場合がある
と思うので、しばらく更新がない日が続いた後でまとめて数日分更新、
というようなことがあるかもしれませんが、ご容赦くださいませ。

あとせっかくなので写真とかもご紹介したいですね!リオのビーチで水着姿
のセクシーショットとか(ウソ)。でも、今日荷物まとめて、ちゃ〜んとビキニは
入れましたよ!だって、ブラジルで水着は買えないんです。上も下も布地
が少なすぎて(笑)。そういうのは「ビキニ」ですらなくって、「タンガ」っていうん
ですが。さらにそのタンガが究極の形になると、「フィオ・デンタル」という、
その名もずばり糸楊枝ビキニに!!まぁ、最近の流行はもう少し布の
多いタイプのようですが、どちらにしても相当勇気が要ります。

***

さてさて、それではいってきま〜す!

2003年11月10日

な、ない!!!

こ、航空券が、な、ない!!

ないんです、航空券が!!
いや、ネタじゃなく、本気で。自分の生活が全てネタに思われる昨今ですが、
これはホントにまずい。。。

日本−デトロイト間ではなく、デトロイト−サンパウロ間なので、まだもう少し
時間はあるのですが、あぁ、なんでこんなことに!!

ここに書くかどうか迷いましたが、このみなぎる緊張感を一人では
とっても抱えきれない!!ということで勝手にぶちまけさせていただきました。

もう3回は狭い部屋を探したのですが、見つからず。。。ブロッグしてる場合
じゃないのも、「もしかして、これって夢かも」と考えてる間も、ドラえもんに
「紛失物見つけ機」ってなかったっけ?と思い出している暇もないのですが、
現実逃避してしまう自分。。。

ああ、今日ばかりは誰か助けて〜!