留学して、1年くらいたったころ。
なんだかすごく素敵な状態になった。
それは、「帰ってもうれしい、戻ってもうれしい」という状態。
久しぶりに日本に「帰って」うれしい。
またアメリカに「戻って」うれしい。
どちらにも、会いたい人がいて。
どちらにも、待っていてくれる人がいる。
物理的な場所ではなくて、大切にしたい人がいるところが、
「HOME」なんだなとすごく実感した。

今は。
家に帰ってうれしい。
仕事に戻ってうれしい。
大好きな映画はいろいろありますが、その中でもほんとに好きなのが
実話をもとにした『パッチ・アダムス』です。
12年間で15万人を超える患者を無料診療しつづけ、
「ホスピタルクラウン(病院の道化師)」という存在を世に広め、
今なお自らの信念を忘れることなく活動しているパッチアダムス。
そんな彼が、なんと日本にやってきます!
それも、誰もが参加できる講演会という形で!!
テーマは、「Love Strategy」
誰もが持っている「愛」をどうやって形にすればいいのか?
パッチアダムスの手にかかれば、きっととても楽しく、
そしてとても本質的な話になるでしょう。
わたしもたくさん友達を誘っていく予定ですので、
興味のある方、ぜひごいっしょしましょう!
日時:2007年8月25日(土)開演13:30
会場:パシフィコ横浜 国立大ホール
参加費:4,000円
●申込や詳細はこちらから
VISTAに乗り換えました!
もうちょっとあとがいいかなぁとも思ったのですが、
どうせいつか変えるし、と。
PC自体のメモリも積んだので、使い心地的には、
それなりに快適です。
ちなみに、VISTAのソースコードは、
5000万行を4000人で開発したらしい。
おそるべし、MS!
不具合があったりでもちろん完璧ではないにせよ、
4000人でなにかひとつのものを作り上げる、、、という
こと自体が、想像を絶する。
一方、ちょっと困るのは、やはりソフトウェア。
もともと使っていたソフトの中には、
VISTAではまったく動かないものや、動くけど保証は
されていないものもしばしば。
そのうち対応するのかもしれませんが、
法人PCがVISTAに移行するのには時間がかかるでしょうから、
各社どこまで優先順位を高く対応するのかという点は
結構疑問だな〜とおもったりします。次バージョンから対応、
なんてあたりが妥当な線なのかもしれません。
逆に、VISTAにいち早く対応して、パッチを発行している
ソフトベンダーには、好感が持てたりして。
昨日の記事に引き続いて、
「信頼を勝ち得るコツ」の本質とはいったいなんだろう?
ということを考えている。
それはたぶん、スキルではない。
なによりも、向き合う姿勢。
相手のために、何ができるか?を考える姿勢。
自分が未熟であればあるほど、
自分のことだけを考えてしまいがちだけれど。
未熟な自分に提供できるものは、
きっと、多くない。
それでも、「ああ、これはこの人の100%なんだ」と
理解してもらえた瞬間に、感謝が、生まれる。
誰よりも相手のことを必死で想うこと。
それが、未熟な自分が人の信頼を得るポイントだと思う。
最近、保育園の先生向けのコミュニケーション講座、
という依頼がやってくる。
子どもたちとのコミュニケーション、ではなく、
保護者とのコミュニケーション、がテーマ。
話を聞いてみると、保育園の先生、もう「いつ何を言われるか!」
とビクビクしちゃっています。相性のいい保護者の方から話しかけ
られたときですら、反射的に身構えてしまうらしい。
チェンジ・デザイン・アカデミーでも親子の課題をテーマに
している人が多く、ある男性のプレゼンでこんな信じられない
話がでてきました。
・子どもが苦手だからと、跳び箱の授業の中止を求める
・子どもの携帯電話を取り上げると、日割りで基本料金を
負担するよう迫る
・抽選で履修を決める講義を取れなかったと大学に親が抗議
いやはや。。。
とはいえ、親の立場に立ってみれば、20そこそこの若い女の子
が先生なわけで、子育てもしたことないのに、と感じるのも
わかる気がするわけです。
一方で、人の信頼を勝ち得るのに、年齢など関係ない、
ということをわたしは日々感じてもいます。
たとえば、50代の管理職を相手に研修をすることもあれば、
40代の人に人生について語ることだってあります。
そこには、かならず、信頼関係を築くためのコツのような
ものがあるはずで、それをお伝えできたらと心から思う。
これは、きっとわたしだから、できること。
新しい企画のワクワクというものは、なにものに代えがたい。
わたしにとっての生きる喜びのひとつ。
そんなわたしが企画を考えるときに大切にしていること。
それは、そのサービスを受ける人の顔を思い浮かべること。
というか、勝手に浮かんできちゃうのだけれど。
いい企画のときには、ビックリするほどリアルに。
こんな風に、きっと喜ぶ。
こんな風に、きっと変わる。
こんな風に、きっと。
この想像力が、創造力の源。
多くの役所には、名刺がない!
ということを初めて知った。
みなさん、自分でおつくりになられているケースがほとんどなんだそう。
自分なりに工夫されて作っていたり、逆に面倒だから持たない
という方もいたり。
ちょっと驚き!
それにしても、「お役所仕事」と言いますが、役所に行くたびに
この人たちめっちゃ働いてるな〜と思う。
だって、座って仕事をしてる人ってまずいないし、
どう考えてもネットサーフィンするような余裕はなさそう(笑)
もちろん、融通が利かない部分はあると思いますが、
仕組みの固さによって、個人が対応できるバッファが少ない
というのはつくづく大変だろうなと思います。
仕組みによって、元気がなくなっている人も、
ちょっと時間をかければすぐに目の光を取り戻すことができる。
誰もが、自由な心を、持っている。
岡本太郎が、好きだ。
どう好きなんだろう?と考えた。
自分の心に正直で、世の中で「よし」とされていることに
とらわれない。私の中の、「なにかに逆らいたい」という
気持ちを満たしてくれる。
それは、たとえば彼のこんな言葉に感じ入ってしまう自分だ。
| 人生は積み重ねだと誰でも思っているようだ。
| ぼくは逆に、積みへらすべきだと思う。
| 財産も知識も、蓄えれば蓄えるほど、
| かえって人間は自在さを失ってしまう。
| むしろ、「成功は失敗のもと」と逆に言いたい。
| その方が、この人生の面白さを正確に言い当てている。
| ぼくは自信があるとは思っていない。
| 自信なんてものは、どうでもいいじゃないか。
| そんなもので行動したら、ロクなことはないと思う。
そうだ、そうだー!
経営は爆発だー!
「カーボンオフセット」という考え方を知っていますか?
世界の社会起業家を紹介するメールマガジンを書いているの
ですが、その中で取り上げました。
簡単に書くと、個人や組織が排出したCO2を、植林などを通して
相殺する仕組みのことです。
たとえば、英国航空では、かなり前から「カーボンオフセット制度」
を取り入れていて、成田−ロンドンのフライトで3千円程度を
プラスで支払うことで環境団体「クライメート・ケア」に寄付が
できるようになっています。もちろん、このオプションを選ぶも
選ばないもその人次第。
2006年12月に発表された調査によると、カーボンオフセットの
取り引きを含む世界全体の自主的なカーボン市場の規模は
約12億3000万円。
今後は、たとえば車を購入するときに「オフセットつき」
オプションができて、いくらか多く払うことで「この車から出る
二酸化炭素はオフセットしました」という主張ができるように
なったりするといいます。
ちなみに、日本人ひとりが生きているうえで排出する平均的な
二酸化炭素は、9.64トン。金額に換算すると、2万円程度を
植林や代替エネルギーのために費やすことでオフセットすること
ができます。
もちろん、この仕組みが「お金を出しているのだから、
二酸化炭素出し放題」の免罪符になってしまっては意味がない。
けれど、自分がどういうインパクトを「ただ生きているだけ」で
与えているのか?を考えるきっかけにはなると思う。
いつも感じるのですが、先進国に生まれて、一番恐ろしいこと
は、何も知らずに誰かの生活を踏みにじりながら生きている
可能性があるということだと思う。
車を運転する、飛行機に乗る、エアコンや冷蔵庫を使う。
当たり前のように享受しているあらゆるものごとは、世界と
つながっている。
そして、この世界のもっとも弱い人たちが、
誰かの「便利」のために生きる権利を奪われている。
カーボンオフセットの仕組みは、わたしたちひとりひとりが、
「自分が生きる」ことに対する責任を、もっと広い視野で
とらえなおす必要があるということを教えてくれる。
●メルマガで書いたカーボンオフセットの記事はこちら
人生には「いいとき」と「悪いとき」がある。
なんだか最近ものすごく調子がいいので、気づいた。
つまり。
去年はそんなに調子よくなかったんだ!
ってことに(笑)
うーむ。
「調子がよくない」と気づかぬままに通り過ぎ、
調子がよくなってきて、ようやくそのことに気づいた。
調子がいい一番の原因はやっぱりみんながいること。
支えられていること。
人数が増えていくことの楽しさがようやく実感できてきた。
わたしたちはオーガニックな経営がしたい。
無理に人数を増やすのではなく、
無理にお金を稼ぐのではなく。
ひとりひとりが自然体で楽しく働く。
会社の中でも外でも有機的に人とつながる。
たったひとつしかない個性をそれぞれが活かして。
本の影響で、ブログをだいぶ遅れて書いています。
その時間差・・・
約10日間!
夏休みの日記デスカ?
不幸中の幸いは、夏休みの宿題と違って、
「天気」を書かなくてよい点でしょうか?
完全にアウトです。
わたしは夏休みの宿題は7月中に全部終わらせるタイプ。
勢いあまって8月の日記まで書いちゃう小学生でした。
大人になるにつれて、だんだんとその傾向が薄くなり、
今となってはわりとぎりぎりにサクッと仕上げることが多い。
でも、改めて思い返すとあのときの感覚値はなかなか
すごくて、まさに「仕事を追いかける」という感覚。
最近、やりたいことがありすぎて、気持ちに体が追いつていない
感じがするので、夏休みの宿題を前倒しにしてみてもいいのかも
しれない。
突然、小学校のころのことを思い出した。
なぜか、新しい教科書をもらう日のこと。
一挙に全教科の真新しい教科書が配られる。
あの新しい教科書のにおい、覚えていますか?

アレを、久しくかいではいないけれど、ありありと思い出せる!
という人はわたしだけではないでしょう。
それにしても、わたしは、国語の教科書が大好きだった。
配られた日に、とりあえず完全読破。
ちなみに、「新しい国語」だったな。東京書籍。
どんだけ新しいのかはナゾですが。
覚えている話と言えば、やっぱし「おおきなかぶ」。
うんとこしょどっこいしょ!ってなもんで。
ちなみにあれはロシア民話なんです。
それから、宮沢賢治の「注文の多い料理店」
個人的に賢治はこれ以外の作品のほうが好きですけれど。
なんだか、もう一回読みたくなってきたなぁ・・・。
大人になってから読むと、その美しさに感じ入ってしまうかも。
浅田次郎にはまっている。
あの、もうちょっとで臭くなる直前の感じが、イイ。
結局、ちょびっと泣いてしまったりするところが、イイ。
本が大好きなわりに、なんとなく読んでいなかった浅田次郎の本。
たまたま手に入った「天国までの百マイル」を読んで、
なかなかいいなーと思い、「蒼穹の昴」で完全にアウト。
もともとね、弱いんですよ、歴史小説に。
司馬遼太郎や吉川英治はあっさりさっぱりしているけれど、
浅田次郎はキャラクターを通して、ほんとに語りかけてくる。
人のぬくもりが、伝わってくる。
愛があふれてるんだなぁ。
まんまるいのも、さんかくのも、いびつなのも。
いろんな形のアイが。
社会的に認められた仕事をしていて、
どんなに大変でも一生懸命がんばっていて、
経済的に余裕があって、
他人からきっと評価もされている。
そんな状態なのに、とても不幸せに見える人がいる。
なぜだろう?
それは、たぶん、自分の心に嘘をついているから。
ほんとは、上司の後始末なんかしたくないのに。
ほんとは、クレームじゃなくて感謝の声を聞きたいのに。
ほんとは、今の仕事なんか辞めて趣味を仕事にしたいのに。
ほんとは、自分を大切に思ってくれないパートナーと別れたいのに。
ほんとは、「いい子のわたし」なんて捨てちゃいたいのに。
こんなにたくさんの「ほんとは」に気づかないフリをして、
どんなに頑張り続けていても、幸せになんか、なれないよ。
自分の心の「ほんとは」に気づいてあげて。
気づいてあげられるのは、あなただけだから。
外耳炎になりました。

何が原因かというと、本ですな。
(↑これでわかるひとがいたら、仲間アルヨ)
本を書く
↓
ゆき詰まる
↓
耳かきをする
↓
本を書く
↓
またゆき詰まる
↓
耳かきをする
↓
本を書く
↓
さらにゆき詰まる
↓
耳かきをする
↓
本を書く
というプロセスの果てに。
本はひとまず書き終わったので、
このプロセスもジ・エンドを迎えたわけですが。
耳は今、快方へ向かっております。
ご安心アレ。
ルーターを買い換えました。
こういうセッティングをしていると昔のことを思い出す。
そういえば、昔はデータセンターでファイアーウォールを
設定したり、JP1のジョブを組んだり、ディスクをガコンと
入れ替えたりしてたなぁ。。。
(´∀`) ナツカシイ
それにしても、セッティングがうまくいかない。
うーむ。。。
結局、ケーブルのモデムのほうがおかしいのでは?との
疑念から、サポートに電話。
いやー、サポートの人ってほんとすごいですね〜。
現場にいるわけでもないのに、ちゃーんと解決してくれる。
今回は、LANケーブルを一度すべて外し、モデム→ルーター→PCの順で
立ち上げることで解決しました。そういえば、昔のパソコンはPCと
周辺機器のスイッチ入れる順番とかがあった気がする。
だんだんと機械が進化するにつれて、ほんと、なにもわからなくても
利益を享受できるようになりますね。
車の設計がわからなくても車に乗れるし、
パソコンの仕組みがわからなくてもメール打てるし、
検索エンジンのロジックがわからなくても調べ物はできる。
改めて考えてみると、自分の身の回りにあるもので、
自分が作れるものなどなにひとつない。
鉛筆、消しゴム、キャベツ、マグカップ、CD、紙、本、メガネ、
コンタクトレンズ、化粧水、口紅、携帯電話、マグネット・・・
多くは、作り方さえ、知る由もない。
「今の人は、野菜の作り方さえ知らずに・・・」
という言われ方をすることもある。
でも、もはやわたしたちは、自分が使っているもののなりたちを
すべて把握するなんて不可能な域にいるのではないだろうか?
「reinventing the wheel」
車輪を改めて発明する人などいないけれど。
わたしたちは、どこまでは知る必要があって、
どこからは知らなくてもいいのだろう?
コズと話していて、自分を成長させるのに最適な方法はなにか?
という話になった。
彼女もわたしも「追い込まれると力を発揮する」タイプ。
違いは、わたしは「自分以外の人に追い込まれるのはイヤ」で、
彼女は「誰かから追い込まれるのもOK」という点かもしれない。
わたしは誰かから言われてやるのが嫌いなので、スパルタ式は
絶対無理。それでも柔道部でちょっとは免疫がついたと思いますが、
本質的には「権威」というものに対して反発を抱くタイプです。
時と場所を間違えて生まれてきたらぜったいゲリラや革命家に
なっていそう(笑)。
なので、自分で「やりたい」と思ったことをどんどん計画して、
自分で自分を追い込んでいき、限界を超えると成長に出会う、
というパターンが多い。
コズの場合には、「スパルタもいいかも」と感じているようで、
誰かから追い込んでもらっても柔軟に対応できる素直さが
あります。
いずれにしても。
自分の「成功パターン」ならぬ「成長パターン」を知る
ということには大きな意味があると思う。
あなたの「成長パターン」はなんですか?
スーパーに買い物に行きました。
めずらしく、入口のところにカゴがまったく置かれていない。
きっと忙しくて、動かす暇がなかったのでしょう。
わたしは、レジの後ろに山積みになっているところまで行き、
カゴをいくつかとりあげました。
自分の分だけではなく、一緒にまとめて入口のカートの
ところに移動させようと思ったです。
カゴを抱えて入口に戻る途中で、ひとりのおばさんと目があいました。
彼女もカゴをとりにいくところでしょう。
そして、カゴをカートにおいて振り返ったとき。
なんと、そのおばさんも自分の分だけではなく、
他の人のためにカゴをもって帰ってきていたのです!
もちろん、もしかしたらおばさんはもともといくつか持って
帰ってくるつもりだったのかもしれません。それならそれで
とてもうれしい。
でも、彼女がわたしを見て、自分も持っていこう、と思って
くれたとしたら、これまたうれしいなぁと思ったのです。
誰かのための行いは伝染する。
先日から、人気のプレゼンテーションセミナーの講師を
別の講師もできるように、と準備を進めてきましたが、
今日はついに、免許皆伝!

賞状は、朝起きてから思いついて製作しました。
我ながらこういうの大好きなんですな。
喜ぶだろうな〜っていうワクワク感が好き。
去年の後半くらいから、だいぶ講師を分担できるように
なってきて、とってもうれしく、感慨深い。
なにが一番うれしいかというと、
同じプログラムを別の講師がやっても、
ちゃーんと目指すべき成果が得られていること。
つまり、プログラムの精度がずいぶん高まった、
ということなのです。
私自身は、「私しかできないセミナー」というのは、
講演だけにしたいと思っています。
それ以外のものは、同じ志を持った人が、
どんどんやれるようにしていきたい。
大切なのは、「わたしがやること」ではなく、
「ひとりでも多くの人の変化をサポートすること」
講師をやっていて、一番難しいなと感じるのは、
相手にどこまで踏み込むか?ということ。
今日のプレゼンテーションセミナーは、自分が講師ではなく、
後ろでのオブザーブでした。
ところがですね、いつもの前に立っているときの調子で、
どどーん!!と踏み込んでしまったんですね。
そうしたら、反応がなんだかいつもとちょっと違う。
あっ、踏み込みすぎたな〜って気づきました。
なにせ、その日はずっと後ろで聞いていたんです。
なのに、とつぜん炎のようにフィードバックをし始めた
のですから、そりゃあ驚きます。
外野どころか観客席なのに・・・
全力投球し杉。
改めて、「踏み込んでOKな度合」というものは、
信頼関係に比例する、ということを実感しました。
そして、信頼関係というものは、
「お互いに信じあう」ということ。
「自分だけが相手を信じている」のでは成り立たない。
でも、自分から信じることだけが、信頼関係をスタートさせる。
チェンジ・デザイン・アカデミーのサポートセッション。
毎回一回目のあとのサポートセッションは、
みんな期待と不安がいっぱい。
ちょうど次回「言いだしっぺプレゼン」といって、
自分がプロジェクトでやってみたいと思うことを
プレゼンしてもらう機会があるのですが、
そのためのイメージをいろんな角度からふくらませて
もらいました。
ほんとうに「面白いなぁ!」と思うのは、
人が集まるといいアイディアが出る、ということ。
ひとりの発想に刺激されて、また別のアイディアが
生まれ出る、その循環が心地よいのです。
最初は不安の要素も見え隠れしていたみんなが、
ワクワク感いっぱいになっていくのをみて、
あらためて人が集まることのパワーを感じました。
参加してくださっていたメンターの言葉を借りれば、
三人寄れば文殊の知恵!
最近、少しずつ香織もプレゼンセミナーの講師をし始めています。
で、彼女のセミナーを見学していると、
そのフィードバックの質に度肝を抜かれる。
目の前に起きた出来事だけではなく、
その向こうにいる「その人そのもの」にスッと焦点をあてた
フィードバック。
その人のいいところ、すばらしい点を温かく包み込むように
引き出していく。
あまりにも、心の柔らかい部分に焦点があたるので、
フィードバックを聞きながら、泣きそうになる人、続出。
参加者はプレゼンがうまくなるだけではなく、
心底から湧き出す自信を手に入れることが、できる。
つくづく彼女は、頭と心の照準があっている人だと思う。
そんな彼女が、ある人のプレゼンを聞いて、フィードバックの中で
言っていたことが心に残った。
それは、「プレゼンの進化形」という考え方。
第一段階が、「伝われ〜!」というスタンス。
第二段階が、「あなたに、伝えたい」というスタンス。
そして、この日、初めて意識されたのは、第三段階。
それは、「聞いてくれて、ありがとう」というスタンス。
たしかに。
この世の中には、心が洗われるようなプレゼンテーションがある。
それらのプレゼンがなぜそんなにも清らかなのか?
という答えは、きっとここにある。
聞いてくれて、ありがとう。
聞いてくれて、ありがとう。
聞いてくれて、ありがとう。
「人を巻き込む共感プレゼンのコツ」というレポートを無料で配布
しているのですが、これを読まれた方からいい質問を受けた。
(※レポートはこちらのサイトから)
| 私自身、プレゼンは、「自分が何を言いたいか」ではなく
| 「相手に何を伝えたいか」という考えで実施してきました。
| レポートには、「目の前の相手のために、今自分に何ができるのか?」
| を意識する書いてあります。
|
| 私の考えと須子さんの考えは、広い意味では同じ事だと考えて
| いますが、何かが違うと感じています。
|
| その違うと感じている事は、深い意味があり大切な事のような気が
| しています。もし、私が何かが違うと感じている事を経験済みとか、
| 分るようでしたら教えて頂けると助かります。
物事の微妙な違いを突き詰めて考えると、
その本質がよく見えたりするようです。
この質問に対する回答を考えるプロセスを通して、
いろんなことに気付くことができました。
「相手に何を伝えたいか」ということは、とても大切です。
違いのポイントは、「なんのために」相手に伝えたいのか?という
さらに大きな目的意識にあります。
たとえば、営業のプレゼンなどであればわかりやすいのですが、
「この商品を買ってもらって売り上げをあげるために、
相手にコレを伝えよう」とおもうのか、
「この商品を買ってもらって相手の悩みを解決するために、
相手にコレを伝えよう」とおもうのか、
同じ商品のメリットを伝えるにしても、その目的が違います。
わたしが感じているのは、
相手に伝える内容ももちろん大切なのですが、
それ以上に、「なんのために伝えるのか?」を自分で意識すること、
とりわけ「自分のため」という部分を超えた
「相手のため」のエッセンスに意識を集中することが大切
だと感じている、ということなのです。
ちなみに、この話には後日談があり、
このメールをくださった方がプレゼンセミナーにも
いらっしゃったのです!
そして、さっそく学んだことを実践して上司への提案を行ったところ、
提案と上司の考えがリンクし、直ぐに実施する事になった・・・
とのことでした!!
わたしたちは、「変化の起きないセミナーには1円の価値もない」
と心底思っていますが、こんな風にすぐに成果がでると
ほんとうにうれしい!
わたしは、あまり「自己成長」に興味がない。
「成長のための成長」は自分には必要ないと思っている。
わたしにとって知識が必要になるのは、
その知識が「誰かにとって役に立つとき」だけです。
そして、その知識を使って、新しいものを創造するときだけ。
以前は、これをやや「いい悪い」の問題として捉えている
自分がいたのですが(「自己成長の罠」の記事)、
最近はその人の嗜好の問題であるという気がしてきました。
つまり、自分自身の自己成長に喜びを感じるタイプと、
世の中における変革創造に喜びを感じるタイプと、
喜びのツボが違うというだけなのだろうと。
もちろん、やりたいことをやらない言い訳のために自己投資し続けて
いるというような場合には、やはり一度考える必要があるとは
思いますが、より根本的なモチベーションの本質を考えると、
タイプが違うと「自己成長」への考え方がずいぶん違うのは
当たり前だということなのだと感じます。
こんな風に、最近は「その人の特定の考え方には、必然がある」
ということを実感し、どんな考え方であっても受け入れやすく
なってきました。
そういう意味で、3〜4年前の自分の考え方と比べて、
柔軟性が大きく成長したのかもしれません。
・・・それにしても、「自己成長の罠」という記事を改めて読み直し、
これを26歳の起業前の自分が書いたのだ思うと、
やや気味が悪いアルヨ(笑)。
今回の本を書くプロセスでは、ほんとうにたくさんのことを学んだ。
とにかく、3回は大幅に書き直して、
そのたびに、本も自分も大きく成長した。
執筆のお話をもらったのは1年半も前だったのだけれど、
結局、自分がほんとうに書きたかった本が書けるようになるまで、
時間が必要だったのだと思う。
わたしが十分に成長するまで、本が待ってくれた。
(あ、実際には忍耐強い編集担当者の方が・・・)
「こういう人に、こんなインパクトを与える本を書きたい」
というイメージだけは最初から明確だった。
痛いほど。
でも、自分の中にないものは、出せない。
残酷なまでの真実。
それでも、無理に出そうとあがき続け、
外に答えを求めようと血迷って、
そんな自分の愚かさを許すことができず、
でも「絶対に書けるはずだ」という希望だけは失うことができずに。
そうして歩き続けた結果、
望む本が書ける自分に、追いついた。
そう、わたしが本に追いついたんだ。
ああ、やっと、ようやっと、降りてきました。。。
エコノミー症候群になりかかった甲斐があったというものです。
あんなに苦しかった数日間、なにが苦しかったって、
「これじゃない」ってわかっているのに筆を進めなければ
いけない苦しさです。
ずーっと、引っかかり続けていたことが、
やっと解決しました。
わたしは、長いこと、「何かの専門家でなければいけない」
ということにとらわれすぎていました。
たとえば、コーチングなり心理学なり、何かしらの学術的
もしくは科学的なバックグラウンドや軸が一本立っている
ことが大切で、それによって説得力や芯の通った主張が
できるのだと。
もちろんそれも間違いじゃありません。
でも、わたしのスタイルではなかった。
わたしが、いろんなクライアントやセミナー参加者の
みんなと一緒につかみとってきたものは、
もっともっといろんなものが混在しているなにかだったんです。
たとえば、あるひとりのクライアントが特定の問題を
抱えていたとします。その人にとって、解決策になりそうな
手法があったら、わたしはその都度、十数冊の本を読んでは
自分の中に落とし込み、クライアントの人と一緒に解決に
向けて挑戦を続けてきました。
そうやって、さまざまの手法を組み合わせながら、
うまくいく方法だけをつかみとってきた。
だから、わたしにとって大切なのは手法じゃないんです。
わたしにとって大切なのは、
ひとりひとりのクライアントであり、
その人の変化のために必要になるのなら、
わたしはなんだって使いこなすつもりです。
このことが、ずっと意識化できなくて苦しかった。
でも今は、もう大丈夫。
わたしは、わたしの新しい軸を見つけました。
今、3度目の本の書き直しをしています。
「三度目の正直」ということで、今度こそ!と思いつつ。。。
缶詰状態で、ひたすら自分と向き合っています。
もうね・・・
ほんとに・・・
エコノミー症候群になりそうあるよ。
自宅で!

とても真摯に受け止めるべきメールが届いた。
医療に従事する方から、「コミュニケーション集中治療室」について。
「集中治療室」「リハビリ」「退院」などの医療に関する用語を
軽々しく使用しないで!というメッセージでした。
|研修内容は大変充実したものであると思います。
|しかしだからこそ、真摯に見直すべき点はないでしょうか?
|自分なりの信念や理念をお持ちになるのは結構です。
|アイデアも大切です。
|ただ、命に関わる領域で使われるもろもろのものを、
|軽くお考えになるのはやめてください。
ほんとうに、深く、考えさせられた。
もちろん、軽い気持ちで使っているわけではなく、
ちゃんと意味があるからこそ使っている言葉だけれど。
でも、その言葉で誰かが傷つくとしたら?
昔、父が入院していたときに、同じように誰かがこうした
言葉を使ってサービスを提供しているのを知ったら、
わたしはどんな風に感じただろう?
きっと、傷つく。
きっと、憤る。
きっと、やるせない気持ちでいっぱいになるだろう。
同時に。
自分自身が、信念を持ってこのセミナーを開催している、
ということもまた真実。
だから、精一杯の想いを込めて、返信のメールを書きました。
このブログを見ている方の中にも、そういった気持ちを
一瞬でももたれた人がいらっしゃっるのかもしれません。
そのお気持ちに対して、心からお詫びしたいと思います。
(前略)
|
|このように勇気あるご連絡をいただいたこと、
|心から感謝しております。
|
(中略)
|
|一方で、わたしたちがこうして仕事をしているのは、
|体ではなく、心を病んでいる、もしくは病みかけている人たちの
|ためであるということをお伝えできたらと思います。
|
|わたしたちのセミナーにいらっしゃる方の中には、
|会社でいじめにあっていたり、言いたいことが言えずに苦しんで
|いたり、病気ではなくとも毎日辛い思いをしていらっしゃるかたが
|たくさんいます。
|
|そして、多くの方がおっしゃるのは、
|「他のセミナーだったら気が重くてくることができなかった」
|「ここだったら、同じように悩んでいる人と出会えるかもしれない」
|そういったご意見なのです。
|
|コミュニケーション集中治療室というセミナーだからこそ、
|普段は足を運べない人がきてくださる。
|他のところにはいけなくても、ここなら救いを求められる気がする。
|
|そういった方々がいらっしゃるということもまた事実なのです。
|
|もちろん、だからといって他の人を傷つけていいことには
|なりませんし、正当化できる理由になるわけではないことは
|わかっております。ただ、世の中には体ではなく、心が病んで
|苦しんでいる人もまたいるのだということをお伝えしたく思いました。
|
|今後の対応につきましては、まずは社内のメンバーにて真剣に
|話し合いたいと考えております。その上で、どのような対応をとるか
|ということを決定させていただこうと思います。
|
|最後にもう一度、本セミナーをごらんになってお心を痛めて
|いらっしゃるすべての方に心からお詫び申し上げたいと存じます。
|
|このような貴重なご意見を頂戴し、ありがとうございました。
自分がよかれと思ってやっていることが、
他人を傷つける。
これほど、悲しいことがあるだろうか。
このメールをくださった方には、心から感謝をしています。
なぜなら、気づけば、物事を変えることができるから。
どう変えるのか?
「コミュニケーション集中治療室」はやめません。
信念を持って、続けます。
でも、なぜ「集中治療室」なのか?を理解していただくための
具体的な努力を今まで以上に、していきます。
今のわたしにできることを。
100%の力を尽くして。
人間関係において、戒めるべきこと。
思い込みを持たないこと。
一度、「この人はこういう人だ」と思い込むと真実が見えなくなる。
たとえば、「あの人は困ったときだけ頼ってくる」とか、
「あの人は期限を守れない」なんていうように思い込んでしまう。
すると、その考えにとらわれる。
結果として、久しぶりの電話の着信にも喜ぶ気持ちになれなかったり、
仕事を頼むときに全幅の信頼を持って望むことができなくなる。
学校の先生なんかをイメージするとわかりやすい。
「いつもあの子は悪さばかりする」なんて思い込むと、
誰がやったかわからないいたずらも、その子のせいだろうと
考えるようになったりする。それは、口には出さなくても、伝わる。
これらは、すべて、自分の中で起きている。
相手には関係のないことなのに。
それでも、その思い込みはまるで真実のようにふるまうだろう。
そして、相手を傷つけることだろう。
相手に対して思い込みを持たないために。
わたしは、この問いかけとともにありたい。
ほんとうに、いつでもそうなのか?
ほんとうに、いつでも困ったときしか連絡をくれないのか?
ほんとうに、いつでも期限を守らないのか?
絶対の、絶対に?
テレビの取材の依頼が来た。
「女性社長」を紹介する番組だそうで。
大丈夫かなぁ?と思いながら、電話を受けた。
いろいろ話をうかがっていると、
「お手持ちのブランド品を番組内で見せて欲しい」
とのリクエスト。
うーむ、無理!
持ってないものは、見せられませんな。
「ブランド品とかにあんまり興味ない女性社長もいるよ」っていう
新たなモデルとして、どうですか?
とフォローしてみましたが、主旨と違ったようです。
それにしても、「女性社長」って、なんだかヘンなイメージだなぁ。
ブランド品持って、エステやお洒落なレストランの常連で、
ファーストクラスで海外のリゾートに行っちゃう、みたいな感じ
でしょうか。
実際、わたしの知っている女性社長の中には、
そういう人もいるし、まったくそうじゃない人もいる。
女性社長になったから、そういうものが好きになるのではなく、
もともと好きかどうかってことなのだろう。
どわーーーーー!
大!感!動!
です・・・。
まぁ、毎度のことなわけですが、
やっぱりクリニックの最終セッションは涙なしにはいられない。
ひとりひとりの、覚悟に、決意に、感動したわけですが、
立会人の方々とのたくさんのドラマも、また涙。
とりわけ、お母様を連れてこられた女性のあり方の変化に
目を奪われました。
彼女のお母様は、彼女を想うあまりに、小さい頃から彼女が
「こうあるべきだ」という枠を作ってしまうようなところが
あったようです。
そんなお母様に対して、ずっと彼女は、
「わたしのことをわかってほしい」
「ありのままのわたしを、認めて欲しい」
と感じていたのだと思います。
きっと、ほんとうに苦しかったのだと思うのです。
最終セッションの中でも、自分をやっぱり認めてもらえない
という苦しさを味わわざるを得ない瞬間が何度もあって、
彼女にとって決して楽な時間ではありませんでした。
ところが。
その苦しさが、募って、募って、募って、
でも、そこから決して逃げることなく、ただ向き合い続けた、
その最後の瞬間に、驚くべき変化が訪れました。
まるで、さなぎが蝶になるように。
「脱皮」という言葉がこれ以上はないくらいにぴったりくる。
彼女が口にしたのは、こんな言葉。
「今までのわたしは、愛が欲しくて、愛を求め続けていました。
でも、これからは、わたしから愛を発信する人になります。」
苦しさから逃げずに、向き合い続けた先に。
こんなにも大きな学びと成長がある。
人は、いつでも、変わることができる。