掃除タイムも、すばらしく常識を超えたやり方
が存在していました。
いちおう分担が決まっているのですが、掃除の仕方は人それぞれ。
四角い部屋を丸く掃く、なんてのはまだいいほうで、
「それは掃除といえるのか?」というレベルの人もかなりいます。
ぞうきんはびしょびしょ。
掃除機を2〜3往復して、ハイおしまい。
とはいえ、結局「自分はこれで十分」と思っている人に、
それ以上をやってもらうのは困難。。。最終的にはキレイ好きが
掃除をする羽目になるというのが日常でした。
そして、皿洗い。
膨大な量の料理を出し、膨大な量の皿洗いが発生します。
巨大なシンクに山積みの皿、皿、皿。
キッチンにはかならずCDデッキがあって、料理のときも、
皿洗いのときも音楽がジャンジャカ流れます。
そして、皿は飛ぶ。
これは、表現ではなく、文字通り、です。
みんなが音楽にあわせて、棚に皿を放り投げたり、
ざるやボウルをカウンターの向こうの人に投げ渡したり。。。
まぁ、なんちゅうか、もう「こうあるべき」みたいなのは
どうでもいいや的な世界が繰り広げられています。
いやほんとに。
でもね、大切なことは、「皿洗い、結構楽しかった」ってことなんです。
とにかく雪に覆われた山の上にありますので、一度外に出てしまうと
戻ってくるのが大変です。
4WDの車以外は、麓に置いて歩いて登る必要があります。
気温マイナス15度以下。
雪の吹きすさぶ山道を徒歩20分。。。
当然、みんな歩きたいわけがありません。
あるとき、10人くらい乗れるバンで外出し、麓まで帰ってきました。
誰かがこういいました。
「ねぇ、やっぱりこの車であがるの、無理かな?」
えーーーーーーっ、どう考えても無理だろー?
「ねぇ、試してみる価値はあるんじゃない?」
「そうだなぁ、勢いをつけたらできるかも」
「やってみようよ!」
もはや、「車のままで登れるかも」という希望論を止めることはできず。
ぐおおおおおおおおおおおおおお!!!!
とバンは勢いよく山道に向かって突進。
途中まではいい感じだったのですが、、、
カーブのところで、車輪が空回りをしはじめ、、、
首の向きがじょじょにイヤな方向へ傾き、、、
ついにお尻から森の中に突っ込みました。。。
一瞬、車内が無言。
もはや車を降りてみんなで押すしかありません。
とほほ、ただ歩けばいいだけの話が、車を救出しないといけない羽目に。
ぎゅるるるるるるっ!
ぎゅるるるるっ!!!
と煙をあげて回転する車輪の力と、
みんなで車を押し上げる力。
どうんっ!
前輪が溝から出るとともに、あやうく前を押さえていた一人を
轢きそうになったりして。
とにもかくにも車が外に出ると、運転する人だけが元来た道を
戻り、残りのみんなは歩いて山を登ることになりました。
最初っから、こうしときゃよかったのにね、とほほ。
とはいえ、なんだかんだでみんなで協力して車を救出できた
という意味では不思議な充実感もあり。
なんちゅうか、「生きる実感」的なもの。
それは、予測不可能な場面にだけ潜んでいるのかもしれない。
「こうなる」とわかっているものの中にはないのかもしれない。
娯楽がほとんどないもので、
自然と人々の関心は食べ物に行き着きます。
運がいいと週に1度くらい山の麓へ買出しについていくことができる
のですが、ここで買ったものが原因で面倒が起きたりします。
基本的に個人の所有物というものがほとんどない状態なので、
嗜好品の類はものすごく大切にされるのですが・・・
あるとき、ブラジル人のエジオがたーーーーいせつにとっておいた
ココアを誰かがこっそり使ったということで大騒ぎになりました。。。
こんな風に書くと、アホらしいのですがそのときはほんとうに大変。
彼いわく、言ってくれればわけてもいいけど、こっそり盗るなんて
卑怯だ!とのこと。
おっしゃるとおり。とりわけ、彼にとってココアは非常に高価な
商品であることを考えればなおさらです。結局犯人は誰だかわからず、
とてもイヤな思いをしました。
そのとき、モラルの低下がもたらす争いとはこういうことかと納得した。
「自分だけならわかるまい」
そう思った誰かがやったに違いないからです。
小さなコミュニティだけに、たったひとりのモラルが低下しても、
全員が周りを信じられなくなってしまう。
周りを信じられなくなると、分かち合うことができなくなる。
同じだけの資源があっても、
わたしたちには選択肢があるということだ。
ひとつは、周りを疑いながら自分の取り分を守るという選択肢。
もうひとつは、みんなが信じあってそれぞれ分かち合うという選択肢。
これは、もっと大きな世界でも同じことが言えるのではないだろうか。
アメリカのNPOにいたときのトンデモ生活をご紹介。
以前にも、少しずつ書いていたのですが、アメリカのNPOコミュニティ
で生活していたときの信じられない毎日をなるべくリアルに
再現してみたいと思います。
マサチューセッツのそれはそれは田舎。
雪に覆われた山の上にその組織はありました。
複数のコテージが組み合わさったような施設です。
まず、到着してその日に驚いたのが食事。
ダイニングのある建物に案内され、たまたまキッチンをのぞいた私。
そこには大量の米を前に途方にくれたアメリカ人の男性がいました。
「ど、どうしたの?」
「うーむ、米のたき方がわからない・・・」
は?
ていうか、じゃあ別のものにすりゃいいじゃん。
よくよく聞いてみると、今日の献立は決まっていて、当番は自分だ
とのこと。とりあえず「RICE」って書いてあったから、
これをなんとか調理しようと試みているらしい。。。
結局見捨てておけず、鍋でご飯を炊くのを手伝いました。
NPOに到着して最初にやったこと、「米を炊く」
後から、食事の仕組みがわかり、いろいろ合点がいきました。
ここでは、ひとり1日あたり3ドルという食費があてられています。
最貧国もビックリな感じですが、たくさん仕入れるために
なんとかなっていたようです。
食事班が、1日3ドルに収まるように1ヶ月単位で献立を考え、
同時に食事当番もスケジュールしていきます。
問題は、その献立を作れる人なのかどうか?ということはまったく
考慮の対象になっていないということ。
つまり、その日に「ブロッコリースープとごはん」と書いてあったら、
たとえ作り方がわからなくてもどうにかこうにかしなきゃならん、
ということなのです。
だから、上記のような「ごはんの作り方がわからん!」というような
ことが起きてきます。
また、当然ながら料理のうまい人と下手な人がいますので、
「あーーー、なんじゃこのゆでだこパスタはーーーー!」とか、
「ぐおっ!ヤミ鍋かっ?」
と思われるようなこともよくあります。
逆に、小麦粉からピザをあざやかに作ってしまう人もいて、
こういう人はまさにヒーロー!
人間、料理ができるということはほんとうに尊敬されるべきことだ!
ということをここまで実感した日々はありません。
(注:これは、4年前のお話です。ことの経緯はこちらから)
極寒の吹雪の中、私はホテルへ向かって歩き出していた。
スーツケースというのは滑車が付いているからお手軽に運べる
のだが、路面が雪で埋もれている状態では、無理やり引きずるか
持ち上げるしかない。持ち上げるのはさすがに無理なので、
少しずつ引きずっていく。
最初の交差点のところで、手に小銭集めのコーヒーカップを持った
おっちゃんに声をかけられた。「それどころじゃないよ」と
思っていたら、どうやら手伝ってくれるらしい。
目を見ると、本気でかわいそうだと思ってくれているようだ。
最初は断っていたのだが、あまりに真摯なので運んでくれるに任せた。
交差点をわたりきったところで、「A Happy New Year!」と笑顔で
送りだしてくれた。思わず小銭を渡そうとしたが、彼は首を振る。
どうやらあくまでも善意だと言いたいらしい。
なかなか人情深い義侠人である。
さらに数ブロック歩くと、今度は店の中の店員が、突然後から
追いかけてくる。何かと思ったら、私のスーツケースの持ち方が
気に入らないらしい。首のところを伸ばして引いたほうがよいと
言うのだ。やってみると確かにちょっと楽になった気がした。
お兄ちゃんは満足げに頷き、そして去っていった。
その後も数人から激励のエールを受け取りつつ、40分後にようやく
ホテルにたどり着いた。振り返ってみれば、周りの人は平気な顔。
彼らの町なのだから当然だが、一人で南極大陸横断の偉業を
成し遂げた達成感がむなしく氷解していく。
ホテルに着き、部屋に入ってやっと緊張が解けた。
手がガクガクするほど凍え、疲れているのを感じる。
やはり、最初っからスムーズにはいかないらしい。
これから6ヶ月、どう考えてもすんなりはいかないのだろう。
Springfieldで第一の洗礼をありがたく受けた。
明日はバスが走るといい、そう願いながら長い一日を終える。
***
これが、4年前の出来事とは、ほんとに信じられない。。。
今の生活も、それなりに刺激に満ちたものだと思っていたけれど、
このときを振り返ると、むしろまともなことに出会うほうが
少なかった気がする。
この当時のエピソードは、実はまだまだまだまだた〜くさん
あるのですが、また折をみてちょっとずつ書き足していこうと
思います。
(注:これは、4年前のお話です。ことの経緯はこちらから)
突然の大声に目が覚めると、あたりが騒がしい。
窓の外を見ると、一面真っ白だ。
まさか雪崩にでも巻き込まれて生き埋めに!
と案じていたところ、よくよく見るとものすごい吹雪で真っ白に
見えたらしい。こんな大雪でも走るとは、さすがアメリカのバスだ。
気合が違う。
そう思っていた自分の浅はかさに後悔したのはその三秒後。
「繰り返します。Springfiledから西・南へのバスコネクションは
雪のためすべてキャンセルとなりました!」
え〜〜〜〜〜〜!
だって、どうすんの?
こんな場所に放り出されたら凍えて死ぬよ、普通は。
周りも騒然としている。
「とにかく、Springfieldで担当に確認してください!
私はこれ以上は何も知らないんですから!」とついに運転手も
開き直る始末。とりあえず騒いでもしょうがないことが明らかになり、
皆席でぶつぶつ言いながら待機。10分後にSpringfieldという
ターミナルに着いた。
今度はターミナルの担当官とやらがでてきて、
「今の段階では本日バスがでるかでないかはわかりません。
とにかく今現在すべてのバスは止まっています。
その辺でふらふらして待っていてください」
。。。
もはやとりつくシマもない。
しょうがないので、待合室に入って席を確保。周りを見回して、
あまり居心地のよい空間ではないことを確認。ごみをあさる人、
雑談に講じる人、小銭をせびりにくる人。ここでいつになったら
走るかわからないバスを待つのか〜。
2時間経過・・・状況変わらず。
さらに1時間経過・・・状況変わらず。
もう一度担当に掛け合ってみる。
「いつ走るか?そりゃこっちが聞きたいよ」
「は?じゃぁこのまま夜を越せちゅうの?」
「いや〜。このまま行ったらそうなるだろうね〜」
えっ?そうなの?このままこの極寒のターミナルで?
周りのアメリカ人は次々と家族なり親戚なりの車に吸い込まれていき、
私はまるで幼稚園でママが引き取りにくるのを待っている子供のようだ。
そして、ママはやってこないことを私は知っている。
まずい。
頭の片隅に、
「身元不明日本人、アメリカ北部のバスターミナルで凍死」
「衝撃!こうして私は身ぐるみ剥がされた」
といった見出しが駆け巡る。
とにかくこの状況を打開しなければ。
重い荷物を引きずりながら、とにかく近くに泊まれる場所を探すのだ。
ちょうど公衆電話の横に観光客用の古びたパンフレットが並んでいる
のが目に付いた。これだ!これにはきっとホテルの便利情報がきっと
載っているはず。リーフレットを開くと、ビンゴ!ホテルリストが
あるではないか。
片っ端から電話をかけ、なんとか一軒予約を入れることに成功した。
あとはどうやってホテルにたどり着くかだ。タクシー会社への電話は
つながらないし、バスもない。地図を確認すると、ターミナルから
ホテルまでは1キロあるかないかくらいだ。
やるしかない。
歩くのだ。この荷物を引きずって。
今からちょうど4年前、ブラジルにボランティアへ行くための
プロジェクトに参加しました。アメリカのNPOで2ヶ月ほど研修と
いう名の資金集めをしていたのですが、そのとき記録していた
文章をふと読み返したら結構おもしろかったので転載してみよう
と思います。
あらためて、日本に住んでいると、いつのまにか
枠にはまってくるなぁと実感。
それほど、枠のない生活でした。
まずは、成田からNPOのあるマサチューセッツの山奥の町に
たどり着くまでの物語。普通ならなんの問題もないはずなのですが、
このときは、ほんとうにたどり着くことさえドラマでした・・・
***
ボストンに着いた。
寒い。。。
ちょうどスキー場に来たときのような寒さだ。
札幌国際スキー場頂上付近、無風、気温マイナス8度。
スキーウェアを着ていればともかく、バカでかいスーツケースと
登山用バックパックを背負った身では、トホホである。
目的地はボストンからバスで約3時間のPittsfieldという町だ。
エアポートからバスステーションに向かう。
すでに飛行時間は10時間を超え、昼だか夜だかもわからない。
ボストンのバスステーションは比較的きれいだ。
DCのバスステーションはちょっと治安の悪い場所にあることもあり、
危ない雰囲気なのだが、ここは違う。
Pittsfieldまでのチケットを買おうと思ったら、
途中乗り換えしろと言われた。Springfieldという場所らしい。
さっぱりどこなのか見当すらつかないが、まぁいいだろう。
乗ってしまえばあとは楽チン。Springfieldは終点なので、
眠って過ごせばよい。携帯用のまくらを膨らませて、用意は万端だ。
余談だが、アメリカ人はこういう場合に枕を持参しがちだ。
枕といっても通常仕様の枕をそのまま持ってくる。そうまでしないと
眠れない人種とも思えないのだが、『枕を持ち込む』という行為自体
になんらかのファンタジーを感じているのだろうか。
Springfieldまでは2時間余り。いつの間にか眠りに落ちた。
アメリカのNPOでの日々をときどき思い出す。
マサチューセッツ州の山の中で、気温はマイナス15度。
トイレも凍るような寒さの中、世界中から集まった
ボランティアスタッフと時間を共有しました。

ヘンなことや面白いことがありすぎて、
一度にはとても書ききれないのですが、
今日はふと思い出した気づきについて書いてみようと思います。
なにが特別かって、とにかく娯楽がないこと。
なーんにもないんです、「人」以外には。
そうすると、何が起きるか?
語る。
歌う。
踊る。
とりわけギターの一本でもあったりしたら、
あっという間に歌って踊る空間が生まれます。
英語でも、スペイン語でも、ポルトガル語でも、日本語でも。
なんでもいい。ただ、ひたすら、歌って踊る。

なにもなくても、人間って楽しみを見つけ出すことができるんだなぁ!
と不思議な感動を覚えました。
たぶん、誰かの楽しみ↓
