「あなたがもし奴隷だったら」を読んで、思い出したことがあった。
それは、わたしがそもそもなぜ発展途上国に興味をもったか?
ということだ。
それは、「かわいそう」という気持ちからではない。
不公平な世界に対する憤り。
強烈な正義感からである。
理由はわからない。
でも、虐げられる人を見ると体が熱くなる。
そこには、ゆるぎないわたしの価値観がある。
自分自身の誇りを守ること。
勇気をもって立ち上がること。
自分を偽ることなく正直であること。
私の中の誰かが、立ち上がりたいと声を上げるのだ。
あきらめている誰かを勇気づけ、ともに誇りを取り戻したいと願うのだ。
わたしは、革命家である自分を忘れていたような気がする。
もしかしたら、わたしはもっと激しく生きたいのかもしれない。
絵本なのですが、とても心に響く一冊を見つけました。
奴隷として扱われたひとたちの心の痛みが、
沁みとおってくる。
人間としての尊厳を奪われることの、残酷さ。
それは体の痛みよりなお鋭く、深く、激しい。
この本では、とにかく「人の痛みを感じること、想像すること」を
ひとりでも多くの人に伝えるために書かれている。
過去の過ちを繰り返さないために。
「他人の痛みや怒りが想像できたとき、
心に「理解」が生まれる。
心に理解が生まれたとき、
ひとりでない自分を感じることができる。」
アフリカンドラムのコンサートに連れて行ってもらいました。
ドゥドゥ・ニジャエ・ローズさんというユネスコの無形文化財であり、
セネガルにおける初の人間国宝。
なんと御年77歳!!
喜寿ですよ、みなさま。
パーカッション・オーケストラ、ということで20人くらいのメンバーを
率いて、ドラムをたたく。それも、舞台いっぱいを使って、空手の形の
ような鋭い動きで舞いながら。
彼だけを見ていると、「シャーマン」という言葉がぴったりくるような
存在感と動きです。
彼は、自分自身幼少の頃からドラム(タムタム)に魅せられ、
師匠について学びます。
彼は言いました。
なんと「リズムは、私の情熱であり、愛であり、信ずるものなのだ」と。
そして、あるとき、「やってみよう。できないはずはない。」
と思い立ったといいます。女性の打楽器合奏団を作ろうと考えたのです。
そもそも女性がタムタムを叩くなど前代未聞の事でした。
彼は、自分自身の娘と息子の妻全員を集め、この大いなる挑戦を
始めたのでした(ちなみに3人の妻と33人の子供がいます 笑)。
77歳になる今もなお、オーケストラを率いて世界中を駆け巡ります。
自然も人生も、世界はすべて音楽。
リズムこそ世界の人々と分かち合えるものだと信じて。
みなさん、会議ってお好きですか?
わたしは、スピード感のある会議は大好きです。
会話が盛り上がって、なおかつ焦点を失わない会議。
できそう、やれそう!な勢いのある会議。
ところが、なかなかすべての会議がそういうわけにもいかないと
いうのが世の常識。
むしろ、時間通りに終わらない、否定的な意見ばかりがでる、
意見が全く出ない、行き先が不透明・・・といった不毛な会議
のほうが多いのではないでしょうか?
というわけで、だいぶ前からリクエストをいただいていた
「会議運営ファシリテーション」に関するパイロットセミナーを
実施しました!
今までのお客様向けにご案内を出したところ、あっという間に
キャンセル待ち。あらためて、とてもニーズの強いテーマで
あることを再認識しました。
来ていただいたお客様の評判もよく、さっそくですが正式バージョンを
リリースすることに決定!
●会議プロセスを理解し、効率的な進行ができるようになる
●混沌とした議論を「構造化」できるようになる
●参加者から意見を引き出すコツをつかむ
●非協力的なメンバーも含めて合意を形成する方法を知る
という言葉にピンときたら、ぜひご一緒しましょう★
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おっと、今日は誕生日でした!
今年は結婚式で盛大にお祝いしていただいたこともあり、
誕生日はささやかな感じをキボンヌ。
というわけで、公園での青空昼寝をはじめ、アルノとふたりで
ゆったり一日を味わいながら過ごしました。
ちょうど結婚式から1ヶ月目でもあったため、
ふたりで過ごせた1か月に心から感謝。
家族で父のお墓参りにいってきました。
アルノにとっては、初めての日本のお墓参り。
神妙な顔つきで、お墓をきれいにしています。
掃除も終わって、ひとりずつお墓に手を合わせました。
わたしは、結婚の報告を。。。
終わった後で、アルノに「なんて言ったの?」と聞いたところ、
「ん。自己紹介。」
と言ってました。
いえ、まぁ、たしかに初対面ではあるのですが。
その後、「あなたの娘さんはすばらしい人です」
と伝えたとのこと (*´∀`)♪
父も、まさかフランス人の義理の息子ができるとは
夢にも思っていなかったと思いますが、きっとほほえましく見守って
くれているかと思います。
どうでもいいことなのですが。
「人間ドック」をまれに「人間ドッグ」と
おっしゃる方がいますね。
人間ドッグ・・・人間と犬との一心同体(ウソ)

大企業のサイトでも堂々と「人間ドッグ」
Googleで検索すると20万件の「人間ドッグ」
もはや「人間ドッグ」も「あり」な気がいたします。
人間ドックに行ってきました。
会社から徒歩2分くらいのところにあるセンターで。
バリウム飲んで検査、というときに発泡剤を飲まされますね。
あれをどんな風に飲んだらもっともダメージが少ないのか?
ということを実験しようと思うのですが、いかんせん年に一度のこと。
もう前回どんな風に飲んだか、忘れてます。
そこで、担当のおねえさんに、
「ちょっとずつ飲むのと、一気にいくのとどっちがいいんでしょう?」
と聞いてみました。
「一気で。」
という迷いゼロの回答だったので、そのようにしたところ。
ぐおっ・・・だ、ダメじゃん!!!
という感じでした。
おそらくは、「検査上、一気に飲んでいただいたほうが助かる」
ということだったのではないかと思います。
会社にカーテンがやってきました。
メインのセミナールームの他に、小さな会議室が2つあるのですが、
そこにドアがなかったんですね。
そうすると、通る人が必ず覗きたくなる。
面白いほど、必ず(笑)。
目があったりなんかした日には、やっぱり笑顔になりたいところ
なのですが、いちいち作業が中断するのももどかしい。
そんなわけで、カーテンが無事に取り付けられたことは、
とってもうれしいできごとでした!
こうやって、オフィスを少しずつみんなで居心地のよい場所にしていける
のは、なんだか幸せなことですね。
ここ最近、珍しくずいぶんと考え深い感じになっていますが(笑)。
改めて思うのは、「悩む」と「考える」というのはちょっと違うな
ということです。
考えを深め、広げる作業は、むしろ楽しいくらい。
自分自身の考えの根本を探り、
今まで知ってきた考え方を新しい視点で眺め、
気づき、学び、再発見するプロセス。
普段のわたしは、あきらかに考える前に行動をしている人なの
ですが、決して考えることが嫌いなわけではないのだと。
そう思います。
そして、その「考える」というプロセスは、
わたしにとっては「書く」ということから生まれます。
自分の内面を表現した文章がひとの目に触れるということは、
必ずしもプラスになることばかりではないかもしれない。
それでも、正直に書き続けずにはいられない。
さて、自分自身の課題が少し見えてきたわけですが。
次に問題になるのが、
「その人のより大きな可能性を積極的に探っていく」には
どうしたらいいのか?ということです。
「なにをするか?」
ということよりも、たぶん大切なことがある。
「所詮はその人の人生である」という考えから、
「その人の人生はわたしの人生の一部である」
という考え方にシフトをすることだ。
これは、私自身の求める世界観と合致する。
ただ、ここで難しいのは、世に言うところの「他人は変えられない」
という事実もまた存在するということである。
「その人の人生はわたしの人生の一部である」という考え方を
保ったまま、「相手を変えようとしない」でいることは
決して簡単なことではないだろう。
そもそもが、難しいことなのか?
それとも。
もしかしたら、まだ何かピースが足りないのかもしれない。
「ありのまま」という話を書いたら、
はらぼーさんが「現状を容認するだけなのはそのままである」
というコメントを書いてくださいました。
なるほどなと。
それを読んで、ちょっと今までの自分の問題点がわかったような気が
しました。
わたしは、割合とどんな人のことも、とりたてて否定することなく
「そうなんだー」とただ受け止めるタイプなのですが、
よく考えると「ただ受け止めていただけ」でした。
そのままを受け止めて、そして。
ちょっと極端な書き方をすると、
「まぁ、所詮あなたの人生だからね」と。
もちろんできる限りのことはしてあげたいけれど、
わたしが自分の人生を責任もって生きているのと同じように、
他人も同じように自分の人生を生きるべきであると。
わたしの根本思想は、この辺にあるようです。
しかしながら、それだとどうもうまくいかないぞという直感が、
そのままを受け止めるだけではなく、その人のより大きな可能性を
積極的に探っていく、という方向性を浮かび上がらせた、という
ことのようです。
誰かのことをありのままに受けとめることを
よいことだと思ってきた。
人にはそれぞれいいところもあり、
悪いところも、情けないところもある。
それらを、ただ受けとめることが、
その人のためになるのだと。
でも、ほんとうにそうなのだろうか?
ありのままに受けとめることが、
その人をある側面で依存させ、
成長を妨げることはないのだろうか?
長い目で見たら、ほんとうの意味ではその人のためにならない、
ということもあるのではないだろうか?
もちろん、相手を評価したり、ただ否定するということではなくて。
その人が、成長していくために、
「そういうあなたは受け入れない。
だって、ほんとうのあなたはもっと素晴らしい存在なのだから」
というスタンスを選ぶこともできるのかもしれない。
何かうまくいかないことが起きたとき、
それをすべて自分の責任として捉えること。
これは、起業して1年目のある出来事をとおして
とことん学ばせてもらいました。
今、目の前にうまくいきはじめていることと、
理想どおりには進んでいないことがあります。
うまくいっていることは、試行錯誤を支えてくれている
みんなのおかげ。ほんとうにありがたいです。
ありがとう。
ありがとう。
一方で、理想どおりではないことを眺めてみたときに、
自分のいったい何をどう変えたらいいのだろうと。
考え続ける自分がいます。
仮に自分の心がこの世界のあり方を創っていたとして。
それでもなお自分が「善意と可能性」を信じたくても信じられなく
なっていたとしたら。
それは、きっとその人がとても傷ついているからではないだろうか。
自分自身が傷つき、ぼろぼろになっていたとしたら。
誰かの善意や可能性を信じられなくなっていたとしても不思議ではない。
善意や可能性を信じられる自分を創りだしたいのなら、
誰かを「信じられる条件を満たすように」変えようとするのではなく、
まずは自分の傷ついた心を癒すことが大切なのかもしれない。
傷ついた心を癒すためには、何が必要なのだろう?
言葉を重ねても、重ねても届かない想いは、
いったいどうしたら届くのだろう?
言葉以上のものを読み取っては解釈し、
解釈に解釈が重なり、膨大に膨れ上がっていく。
誰かの中に悪意や未熟さを見つけ出そうと思えば、簡単だ。
けれど、そのことによって自分の周りの世界は一瞬にして
悪意にあふれた冷たく醜い世界に変わってしまうだろう。
ひるがえって。
「善意と可能性を信じる」という立場をとり、決断できたなら、
同じように世界は善意に満ち溢れた優しく温かい世界に変わる。
一瞬にして。
自分の心の中が、世界を創る。
たくさん失敗をしました。
より正確に言うならば、「うまくいかない方法を知った」
という感覚に近いかもしれません。
トライすることは大切だけれど、
挑戦の結果うまくいかず、元の状態に戻すのに精一杯(笑)。
失敗をあまり恐れるタイプではないのですが、
ちょっと慎重にならざるを得なくなりました。
まぁ、「元に戻す」と言ったって、まったく同じところに戻る
わけではないのだから、あとから振り返ってみればとんでもなく
先に進んだのかも・・・しれません。
「人間関係をあきらめる」
ということについて考えた。
もうどうやってもうまくいかない相性なのだから、と。
相手との関係性をあきらめる。
あきらめることは簡単だし、
もしかしたら一番手っ取り早い解決方法なのかもしれない。
でも。
もし、誰かとの人間関係をあきらめる自分がいるとしたら、
「誰かからあきらめられる自分」を創り出している
ということを忘れてはならない。
誰かを見放すことは、
誰かから見放されることである。
ゴールデンウィークの間に香織と一緒に出社して、
今後の計画を立てました。
朝から夕方まで、検討すべきことをびっしりと並べて、
ひとつひとつ丁寧に。
香織と打ち合わせをしていて驚くのは、
「言わなくてもわかる」ことがほんとうに多いこと。
一方で、本質的にはまったく違う視点から物事をみて
いるので、抜けや漏れも少なくなります。
「なんのためにやっているのか?」
を常にお互いに問いかけながら。
よいよい未来を創造していくプロセスは、
心から楽しいと思う。
大満足!!
オフィスの大掃除を行いました!
・・・って、引っ越してからまだ4カ月なのに?!
いえいえ、そもそもちゃんとした整理整頓がまだだったんです〜。
オフィスの掃除大臣は、みほっちです。
新入社員のみほっちですが、寮生活が長かったせいか、
ほんとにきっちり屋さんの整理上手。
実は、今回の大掃除もみほっちが見るに見かねて、
「掃除します!勝手にやっちゃいます!」
と手を挙げてくれたところから始まったのです(ありがたや〜)。
倉庫の大掃除をして、商品別に棚を整理し、引き出しにはラベルを
貼って、書類整理用のバインダーを購入。
いやはやあっという間にきれいになっていきます。
こういった環境整備の部分を、リーダーシップを発揮して
どんどん進めてくれる・・・なかなかできることではありません。
ましてや入社して1か月で・・・
みほっち、君はほんとにすごい!