「社会貢献とはなにか?」ということについて、話題になった。
わたしにとって「社会貢献」とは、「誰かのために何かをしたい」
という想いを持って生きることだ。
それは、発展途上国に住む誰かのためかもしれないし、心に闇を
抱えた人のためかもしれないし、病気や障害で苦しんでいる人の
ためかもしれない。
でも、もしかしたら一番必要とされているのは、
「身近な誰かのために」と考え行動することかもしれない。
親兄弟、友達、恋人、配偶者、子供、会社の同僚。
身近な人を幸せにできる人は、
それだけで大きな社会貢献をしている。
ちなみに、先日双子ちゃんを身ごもった女性から、
「子育ては最大の社会貢献!だって、一人の人間をゼロから作って
育てて社会に送り出すんだから」という言葉を聞いて妙に納得して
しまった。
いわさきちひろさんの言葉で、
「大人というのは、どんなに自分が苦しくとも、
自分から人を愛せる人のこと」
というのがあります。
自分が辛く、苦しい状態になっているときにこそ、
その人の愛の大きさが意味を持つ。
マザー・テレサの言葉で、
「痛みを感じるほどに、愛しなさい」
というのがあります。
たとえば、「もう捨てようかな」と思っているものを寄付代わり
にすることは、物質的には意味があっても、本来のあるべき奉仕
の姿ではないという考え方。
いずれも、自分が満たされているときにすることなどは、
たいしたことではない、ということ。
「自分が満たされないと他人のことなど考えられない」
これは、多くの場合の真実です。
しかしながら、行いをする人にとって、より大きな意味を
もつのは、「満たされていないときに、なにができるか?」
ということなのかもしれません。
これは、決して簡単なことではありません。
チェンジ・デザイン・アカデミーの第二期で、
「うつ病」をテーマにとりあげているチームがあります。
それも、病気にかかった本人だけでなく、その家族や友人・同僚に
対する支援も視野にいれようというプロジェクト。
このテーマが選ばれたのは、チームメンバーのひとりの体験が
元になっています。彼女の旦那さんが、突然「うつ病」にかかって
しまったのです。彼女が旦那さんの発病・休職・退職・転職、
周囲への対応等を経験し感じたことは、
「うつの人も大変だけれど、その周囲の人も大変だ」ということ。
この原体験から、
「うつ病の人への理解・サポートをしたい」
「周囲にうつ病がいる方へのサポートをしたい」
という想いが生まれてプロジェクトが生まれました。
現在彼女のチームでは、現状把握のためのアンケートをいろいろな
方にお願いしています。
このブログを見ていらっしゃる読者のみなさま。
ぜひ5分だけ、お時間をください。
彼女たちの、想いを形にするために。
Q1 うつ病にかかったことがありますか。
(はい いいえ)
はいの方は、このアンケートにご回答をお願いします。
Q2 ご家族や友人,知人,職場の仲間など
あなたの周囲でうつ病にかかったことのある方はいますか。
(はい いいえ)
はいの方は、このアンケートにご回答をお願いします。
Q1、Q2とも「いいえ」の方は、このアンケートにご回答ください。
***
ご協力いただいたみなさま、ほんとうにありがとうございます!!
今日は何の日でしょうか?本日は、「国連デー」でした!
1945年10月24日、国際連合が正式に発足してからもう58年目になります。
国連の誕生日を記念して、青山の国連大学で「Working forUN」という
イベントが開催されたので参加してきました。明石康氏の基調講演に始まり
若手の国連職員が自分たちの経験を話したり、とよく準備された企画だった
と思います。惜しむらくは、せっかく「現場からの声」と題していたのにもかか
わらず、基本的には所属する団体の活動にフォーカスをおいた話題になって
しまっていたこと。もっとつっこんだ話が聞きたい!と思ってしまいました。
第二次大戦後、平和と安全の維持や、各国間の友好関係の促進など
様々な問題に対して、国境を越えた協力を行うため発足した国連ですが
その役割はどれだけ果たされてきたのでしょうか?貧困の問題にはほとんど
解決の目処がたたず、HIV/AIDSのような新しい問題が発生し、紛争解決
にはアメリカの顔色に左右され、となかなか理想を実現させることに苦労
しているように思えます。
しかし、国連は万能ではありません。このことは日本の政治にも当てはまる
と思うのですが、期待ばかりして参加しないのでは何も動くわけはないの
です。また数年で結果が出ないからといって、ほんとうに効果の薄い活動
をしているかどうか判断を下すのは尚早というものです。人類が長いこと
立ち向かってきた紛争や貧困という巨人に対して、我々ができることという
のは非常に小さな積み重ねでしかないということを認識することが大事だと
思います。
昨日より今日、今日より明日。一歩ずつでもより多くの人が幸せに暮らす
ことができる世界を造るために国連にはその役割をしっかりと果たしてほしい。
そして、私は国連で働くようなタイプの人間ではないけれど、そのかわりに
いつかそんなフィールドで力強く活躍できる人材を育てていきたいです。
***
夜は、DCつながりで出会ったY氏とその友人T氏と飲みました。お二人
ともHOTな方で、ビジネスまわりの話はもちろん久しぶりに政治や政策の
話なんかもできたのが新鮮でした。
しかし、お二人の所属する空手道場に勧誘されてしまいました。。。
昔柔道部を卒業してから留学するまでのブランクの間少しだけやっていた
ことがあって、そのときは剛柔流でした(寸止め)。お誘いを受けたのは
ハードコアの極真から派生した「当てる」流派だそうなので、若干勇気が
いりますが、近々体験に行ってしまうかもしれません。
私が空手で好きなのは形です。ずっと踊りの世界で経験を積んできて
いたことがあって、「武」と「舞」の重なり合う部分にとても惹かれます。
どちらもいかに無駄のない洗練された動きを作り上げるかということに精力
を注ぐわけですが、「武」における形が「内」へ向いているのに対し、「舞」
が「外」へ向いた表現であるというところだけが違うのかなと。
どちらにせよ、私は稽古着を着て、帯を締めるときの余計なモノが削ぎ落と
されるようなストイックな感覚も、舞台に上がって自分を表現する自由な
感覚もとても好き。
今日は、シャンティというNPOのM氏の紹介で、教育協力NGOネットワーク
主催の「ストリートチルドレンへの教育支援の配慮すべきこと」という研究会
に参加してきた。タンザニアでのプロジェクトと、バングラデシュでの試みを
知ることができてとても興味深い。
ストリートチルドレンがアフリカ、アジア、ラテンアメリカそれぞれの地域で
どのように生きているのか、また彼らに対する取り組みはどのように行わ
れているのかを比較することができた。ぱっと思ったのは、「ストリート
チルドレン」の問題として共通化して考えられる問題と、地域性が重要
になってくる問題が混在しているということで、そのことを考慮することが
重要であると思う。
バングラデシュの活動は、割合と有名なシャプラニールというNGOの
プロジェクトだったのだが、スピーカーのT氏が大変スマートで面白く、
『シャ、シャプラニール、侮れず!』と思った。
彼が紹介してくれた言葉で、現地のストリートチルドレンのためのセンター
の所長の言葉。
「子供たちの多くは自分が愛されていると実感することができない。また、
社会の中で自分がどのような位置や立場にいるのかわからない。自分が
誰かに想われていることを自覚し、自分で環境を変えていく意思がなけ
れば彼らがその日暮らしから抜け出すことはないだろう」
そして、T氏の言い放った言葉。
「これって、日本の話じゃないんですか?」