2007年05月25日

自分の醜さを目の当たりにしたとき

スピリチュアルな世界や環境保護の世界で、
違和感を感じることがある。

それは、「わかっている人、わかっていない人」
「気づいている人、気づいていない人」

という分類方法だ。

上記のような分野で情熱を持っている人のなかに、
「まだ世の中の人は気づいていないけれど、わたしは気づいている」
とか、
「世の中が追いつくまで、まだ時間がかかるかも。でもがんばる」
「あなたもそのうちわかるから」

みたいな無言の主張を受け取ることがある。

「あなたはまだね」といわれるときももちろんだけれど、
「ね、あなたもわかってるよね」と同意を求められるときも、
やっぱり違和感がある。

なぜだろう?

それは、やはり自分自身の投影に他ならない。

たとえば、人間関係やこの世界のもろもろの分野において
自分自身が気づいた、わかったと感じることがあったとする。
そんなときにわたしは、「わかっている人、わかっていない人」
という分類をしないように、しないように、意識しているの
だと思う。だからこそ、そういう人を見るとつい反応してしまうのだ。

こうして書いているだけでも悪寒がするくらいに。
こういう分類は嫌いだ。

でもそれは、その人が問題なのではなくて、
つまり、そう分類したがる自分の醜さがイヤなのだ。

こういうふうに自分の醜さを目の当たりにしたとき。

まずすべきことは、そうなんだー、そういう自分がいるんだと
いうことを認めること。否定しないこと。

そして、そこから何ができるのかを考えること。



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投稿者 遙 : 2007年05月25日 06:53 | トラックバック (5)
コメント

 今までのクリニックで自分が学んだ最大のことは「自分の負の感情=醜さ」を否定しないことでした。

 認めることでその感情を取り込み、本来の自分に近づいていくと思っています。

 そして「そこから自分に何ができるのか?」を見つめることをこれから続けて行こうと決めました。

 ありがとうございます。

Posted by: しばちゃん : 2007年06月01日 16:10
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