スピリチュアルな世界や環境保護の世界で、
違和感を感じることがある。
それは、「わかっている人、わかっていない人」
「気づいている人、気づいていない人」
という分類方法だ。
上記のような分野で情熱を持っている人のなかに、
「まだ世の中の人は気づいていないけれど、わたしは気づいている」
とか、
「世の中が追いつくまで、まだ時間がかかるかも。でもがんばる」
「あなたもそのうちわかるから」
みたいな無言の主張を受け取ることがある。
「あなたはまだね」といわれるときももちろんだけれど、
「ね、あなたもわかってるよね」と同意を求められるときも、
やっぱり違和感がある。
なぜだろう?
それは、やはり自分自身の投影に他ならない。
たとえば、人間関係やこの世界のもろもろの分野において
自分自身が気づいた、わかったと感じることがあったとする。
そんなときにわたしは、「わかっている人、わかっていない人」
という分類をしないように、しないように、意識しているの
だと思う。だからこそ、そういう人を見るとつい反応してしまうのだ。
こうして書いているだけでも悪寒がするくらいに。
こういう分類は嫌いだ。
でもそれは、その人が問題なのではなくて、
つまり、そう分類したがる自分の醜さがイヤなのだ。
こういうふうに自分の醜さを目の当たりにしたとき。
まずすべきことは、そうなんだー、そういう自分がいるんだと
いうことを認めること。否定しないこと。
そして、そこから何ができるのかを考えること。

↑クリックすると、今日一日セクシーでいられる!(かもしれない)
今までのクリニックで自分が学んだ最大のことは「自分の負の感情=醜さ」を否定しないことでした。
認めることでその感情を取り込み、本来の自分に近づいていくと思っています。
そして「そこから自分に何ができるのか?」を見つめることをこれから続けて行こうと決めました。
ありがとうございます。
Posted by: しばちゃん : 2007年06月01日 16:10