「中学生頑張れ!」
という日能研のポスターが張ってあって、受験のことを思い出した。
今思い出しても、奇跡の連続だったように思われてならない。
私はもともとあんまり受験には熱心ではなかった。懐かしの「四谷大塚」
という通信教育+週末テストスタイルの学校で、万年準会員、国語以外
は「一ケタ」の点数も余裕でとっていた。金曜日くらいにテキストを
パラパラっとみて、土曜日に試験に赴くのが常でした。
いずれにしろあまりたいした勉強はしていなかったので、受験のときも
ギリギリまで本気モードではありませんでした。
その割に、受験する学校は普通にレベルの高い学校を選ぶあたりが
勘違いの始まりだとおもうのですが、私が受験をしたのは、雙葉
(そう、櫻蔭、女子学院とともに御三家と呼ばれるあの学校です)と、
滑り止め校と、そして国立の附属。
国立の学校というのは、第一次になんと「ガラガラ」で抽選をするん
です。今考えてもなぜかまったく理解できないのですが、受験番号の
桁かなんかで「ガラガラ」っとやって出た番号で二次にすすめるか
決める。だから、国立を受ける人っていうのは受験日が同じ学校も
いくつか出願するんですよね。私も学芸大附属竹早、御茶ノ水、そして
筑波大学附属に出しました。二次の難易度は、竹早が比較的簡単で、
抽選の合格率も7割。筑波は抽選も50%以下くらいで切られ、かつ試験
も最難関。
「ははっ、筑波だけ抽選受かったらどうしようねー(笑)」
と言っていたら、案の定そうなりまして。
人生余計なことは言わないほうがいい、ということを若くして学びました。
日程としては、1日雙葉、2日目滑り止め、3日目筑波の順。
この時点で合格圏にかろうじてはいっていたのが滑り止め校だけでした。
当たり前ですが、雙葉は余裕で滑り。
2日目のテストが終わった段階で、もう後がない状況。
そして迎えた3日目。
今でも鮮明に覚えています。
自分がスーパーサイヤ人になった瞬間を。
いや、冗談ではなく、試験の間中全身から黄金の炎が噴き出してる感じ
で、オーラに包まれ、驚異的に集中していながらも、どこかで冷静に
問題を解き続ける自分。「もうこれしかない」「後がないんだ」という
言葉が頭の中で響きつづけます。
今でも覚えてる問題が、なんか四角い面積を一定の大きさのマスに分割
し、それをある規則にのっとって青色を塗っていく。で、全部埋め終わ
ると色タイルは何枚?とかそんな感じ。
もちろん、普通は、その規則に従って、計算して求めるわけです。
私は。。。
全部描きました。

本能が「おまえなら、計算するより描いて数えたほうが早い」と教えて
くれました。計算していたところでおそらく間違っていたでしょう。
あの日、間違いなく私には神様が乗り移っていた。
終了して、それまでの人生の中で一番テゴタエのある試験で(後にも
先にもあんなテストには出会いませんが)、母親に「できたよ!」と
伝えたこと、そして「できたけどみんな頭いいからねぇ。ま、落ちても
しょうがないねぇ」なんて話したような気がします。
そして、待ちに待った結果。
落ちてました。ふつうに。
私はとっても冷静で、あんなに気持ちのイイ試験ができたことに心から
満足し、もともと受かるわけがない学校なので「そうか」くらいの感じ
でした。だって、究極に頭もよくて勉強してきた人が300人受験して、
たった30人しか受からない試験なんだもの。そりゃバチあたるわ、
私が受かったら。
いちおう滑り止めには受かっていたので、その学校にすっかり行くつもり
で日々を過ごしていました。
数週間たったある日、私が学校から帰ると母が、
「すごいいいことがあったよ!」と言いました。
私はすかさず「えっ?!ドラクエ買えたの?!」と答えました。
(そうです、そんな時代です。並ばなきゃ買えなかったアノ頃)
「いやいや、補欠でさ、筑波に入れるらしいよ」
「は?あの学校蹴る人がいるんだ。櫻蔭の人か?でも超ラッキーじゃん!」
というわけで、入るはずのなかった学校に入ることになり、今の私が
いるわけなのです。あの学校に出会ってなかったら確実に今の私は
おらず、まったく違った人生を歩んでいたことでしょう。そう考えると
子供の可能性を信じ、広げてあげることがなんて大切なことかと感じ
ます。
・・・何のオチもなく、なんかいい学校にはいった話なので自慢か?
という気もしますが、読んでおわかりのとおり私が自慢できるのは、
ほんとうに筋金入りで「運がいい」ってことくらいです。
「中学生頑張れ!」と言う言葉に、こんな昔をつらつらと思い出し、
どこかに書き残しておきたいなと思いました。受験をされた方は、
ところどころ懐かしく思われるかもしれません。
あのときの「神が乗り移った瞬間」をまた体験したい。
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