「世界がもし100人の村だったら2」という番組を見ました。
世界から届いた3人の子供たちの生活。
13歳で子供を生むことになったアルゼンチンのナディア。両親に捨て
られ、スラムから毎日町へゴミ漁りと物乞いをするために通い、妊娠
させられた相手の男にも逃げられて、たったひとりで子供を生むという
現実に向き合う少女。
マンホールに住むロシアのストリートチルドレン、アレクセイ。冬に
なると凍てつく寒さに包まれるウラジオストクで、ストリートチルド
レンたちは、給湯管が通って比較的温かいマンホールの中を住み家と
する。父の虐待から逃げ出してストリートで暮らすようになった男の子
の物語。
祖父母・両親が背負った債務を、労働を持って一生返し続けるという
ネパールの債務奴隷。生まれたときから、借金を返すためだけに働き、
しかも悪環境のなかで必死に働いても、債務は永遠に消えない仕組み
になっている。そんな債務奴隷のひとりスニータの生活。
こんな子供たちは、世界にゴマンといます。
さらに悲惨な環境に身をおいている子供も数知れません。
どの子供たちも、その立場を選んで生まれてきたわけではない。たま
たまその国のその場所のその親の元に生まれてきた。それは、私が日本
という国で自分の両親から生まれたのとまったく同じ確率の偶然。
私がもし、ブラジルのファヴェーラ(スラム)で生まれていたとしたら。
父親の顔も知らず、貧乏でご飯もろくに食べられず、下手をしたら隣人
から一日中レイプされ続け、あるいは突然母親を撃ち殺されて、ついに
家にいられなくなる。そして、ひとりで生きるためにストリートでなん
とか食いつなぐうちにあっという間にクスリや犯罪に手を染めるように
なるでしょう。そもそも誰も薬物や犯罪がいけないことだなんて私に
教えてくれる人はいないのです。
そういう環境に生まれ落ちた自分を想像したときに。
「自分はそうならない」と言える人がいったいどれだけいるでしょうか?
今の世界は、生まれながらにして生きる機会を奪われている人間がたく
さんいます。いや、むしろ自分で自分の生きたいように生きられる選択
肢を持っている人のほうが少ないでしょう。
この日記を読むことができているのは、世界で100人にひとりずつしか
いないコンピュータという文明の利器を手にすることができた幸運で
恵まれたあなたであり、わたしなのです。
しかし。
同時に私はこうも思います。
私がこうして信じられないほど何もかも持って生まれたのも私が選んだ
わけじゃない。生まれながらに恵まれているということは罪ではないと
いうことです。
しかし、仮に罪が生まれるとしたら、それは。
自分が恵まれているという事実に気づかない。
自分の生活を支える人たちのことが目に入らない。
自分と異なる境遇で生きる人の生活を想像できない。
そんな瞬間。
恵まれた人が気づかぬうちに他人を傷つけ虐げることはいとも簡単で。
今日もこの瞬間にわたしたちの食べ物を作り出すために過酷な労働を
強いられている人が世界には存在することは疑いようのない事実。
キリスト教で「金持ちが天国に行くのは、ラクダが針の穴を通るより
難しい」と言います。
実は恵まれている人たちは、
それだけ人生において難しいチャレンジを強いられている
ということなのかもしれない。
私たちは、今、このとてつもなく難しい課題に挑戦していると思う。
[本日の日記に★ざぶとん一枚★]
投稿者 遙 : 2004年08月07日 10:03 | トラックバック (16)同感です。ソクラテスではないですが、まずは無知の知がいかに大切かということですね。最先端のテクノロジーを発達させている先進国が、地球人の飢餓と貧困を完全に解決できない。米国の年間軍事費約46兆円があったら、いったいどのくらいの人を救えるのでしょうか?もしかしたら人間は最も知能が低い生物かもしれません。ひとりでも「知る」人が増え、「行動する」人が増え、世界をより良くしたいものです。自分もできるところからはじめ、継続し、伝えていきたいと思います。
Posted by: まる : 2004年08月10日 21:46「世界がもし100人の村だったら2」、スニータちゃんのお話だけ間に合って見ることができました。
私は最近、本当の意味での”幸せ”ってなんなんだろうとよく考えます。
人によって価値観は違うので一般論は語れないけれど、
自分にとってはどうなんだろう、と。
物質的・環境的・金銭的に恵まれているのが本当に”幸せ”なのだろうか。
先日インドにあるマザーテレサの施設の一つ 「障害を持つ孤児の家」 に行ってきたのですが、
そこでは「洋服を着て生活できることが幸せ」だったり、
「毎日ごはんが食べられることが幸せ」だったり、
「人とhugできることが幸せ」だったり、
「笑えること、そしてまわりの人の笑顔が見れることが幸せ」だったり。。。
物質的には貧しいかもしれないけれど、幸せはいっぱい溢れていました。
物質的には裕福でも、そういった幸せに気づいていない人がいるとすれば、
なんだか寂しいな と感じました。
自分のそれまでを振り返ってみても、こういった幸せを感じていたかというと、
当たり前すぎて何も感じていなかったように思います。
こんな小さな幸せの存在を認識し感じるようになった今、心はとっても温かい。
これで初めて「自分は恵まれている」と言える準備の一つが整ったのかな と思います。
物質的に恵まれている日本でも、
こういう小さな当たり前の幸せを"幸せ"と感じる人が増えていけば、
もっと何か変わるんじゃないかな と思っています。
どうもありがとうございます!
なんだかすご〜く勇気づけられた気がしました。
同じようなことを心で感じていらっしゃる方が
たくさんいる。
本当に幸せを幸せと感じられる心が大切だと
思います。