朝、ブラジル領事館へビザの申請をしに行った以外は、自宅で黙々と仕事
をしていた。どこまでも淡々と、必要なことをひとつずつ。
ふと、人は私のことを情熱的だと思うだろうか、と思った。そもそも「情熱的」
とはどういうことだろう?辞書で調べたら「感情を燃え上がらせているさま」と
でていた。これがその定義だとしたら、私はおかしいほど情熱的な人間では
ない。
昔から、情緒とか感情に疎いところのある人間だったように思う。実の母に
さえ「はるかは、本当に悲しいことを悲しいと思えないんじゃないかと思うとき
がある」と言われたことは、今でも心のどこかに突き刺さったままだ。
人の気持ちを汲み取るということができない。言葉にならないと気づかない。
きっとそのせいで傷ついた人がいると思う。実際「傷ついた」って言われたこと
もある。
ホームレスの問題も貧困の問題も、AIDSの問題も、私にはどれひとつ自分
の人生全てをかけてもいいから解決したいと思える課題とは思えなかった。
だから、一生をかけて特定の問題に取り組んでいる人に心から憧れた。
そういう人たちにたくさん出会って、彼らと一緒に働きたい、彼らの手助けを
したいとそう思った。
今、私はそういう人たちのためならば、一生をかけてもいいと思う。そういう人
たちが生き生きと笑顔で仕事ができるように、そしてお互いに磨きあい、向上
できることに、わくわくとどきどきと、大きな幸せを感じるのだ。
そう、私が何かしたいと考えるとき、それはいつでも誰かが笑顔になってくれ
たり、喜んでくれることで自分が幸せになりたいがためだ。自分というリソース
を使って、この世の中で最大限の喜びを生み出すこと、それが究極のところ
私の人生の目的のような気がする。
なんて自分勝手なんだ!
投稿者 遙 : 2003年10月10日 22:35 | トラックバック (2)何故か、かなり見入ってしまう文章でした。
「情熱のない行動なんていらない」とぃうのも結構ささるメッセージやったんですが、
これもなぜか刺さるメッセージでした。
情熱的?ってたまに言われることがあるんですが、
自分としては不思議な感じがします。
自分のビジョンはあるし、それに向かって行動もしてるつもりなんですが、別に自分は自分が好きなことをやりつづけたい人間、っていうだけなんですよね。
環境問題をやろう、っと考えていた時もあったんですが、自分がそれだけに打ち込んでいく姿はイメージできませんでした。
自分は、常に新鮮な機会と、多くの人が驚きと感動を感じるものを創り出すってのがとことんおもしろいんですよね。
「すげぇ」っていう驚きと感動を生み出し続けたい。
今取り組んでいる事業のゴールが見えたら、次のステップとして、「一生をかけて特定の問題に取り組んでいる人」たちと一緒に事業を立ち上げつづける。
そんな自己中をしたいですね。
「自分が好きなことをやりつづけたい人間」という
表現、まさにそう!!やりたいことをやりたいように
やってきただけ。だから「頑張ってる」という類の
コメントにも答えづらい。むしろやりたくないことを
やらざるをえなければ「頑張る」ことが必要かも。。
きっとkatoさんと私はすごく似ていますね。
「驚き」と「感動」って私にとってもものすごく大事だから。