昨日の続きです。
ひめゆりの塔の資料館を見ていて感じたこと。
それは、まったく同じ人間として生を受け、
どうして彼女たちはこんな運命に出会ったのだろう?ということ。
そして、どうしてわたしはそうじゃないんだろう?ということ。
たぶん、別に理由なんてない。
理由なんてないからこそ、問題なのだ。
理由などない理不尽さこそが、問題なのだ。
わたしを満たすのは怒りと悲しみ。
この感覚で呼び覚まされた記憶がある。
ブラジルでストリートチルドレンの子供たちに会ったときのことだ。
彼らとわたし。
なにひとつとして、生まれながらの人間として違うことなんかない。
じゃあ、なぜこんなにも違うのだ?
なぜ?
ひめゆりの悲劇は終わっていない。
決して。
世界には、今なお。
争いによって命を落とす人が後を絶たない。
争いのしわよせで食べることすらままならない人も数え切れないほどだ。
これは、昔のことではない。
今、この瞬間のこと。
たった今、この瞬間の現実だ。

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