最終日は、沖縄でどうしても行きたかった場所に行きました。
ひめゆりの塔。
あまりにも有名な名前ですが、実はどんな塔なのか知らず、
勝手にイメージしていたのは、そびえ立つモニュメントのような記念塔。
でも、実際にはこんな感じで、ほんとうに小さいものでした。

資料館が最近リニューアルしたらしく、とてもわかりやすく、丁寧に、
展示がされています。
当時、沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校生徒222人による
「ひめゆり部隊」は、沖縄の前線で看護活動を行っていました。
ところが、実際には看護活動という名前で、洞窟のような壕の中で
怪我人の世話から、手術から、死体の処理までやらざるを得ない状況。
耐え難い阿鼻叫喚の中、必死で、寝る間も惜しんで働く毎日。
それでも、あの瞬間までは、なんとか集団で持ちこたえていた。
日本軍が突然の解散命令を出したあの瞬間までは。
戦火の中に取り残された少女たちは混乱を極め、外へ出て撃ち殺される
もの、手榴弾で自決するもの、海岸を裸足で逃げ惑うもの、海の中で
波にさらわれるもの。
職員含め240名のうち、死亡者は136名。
このうち解散命令後の死者が、117名。
じつに86%が、無責任に戦場で捨てられた後に命を落としている。
でも、私が資料館で目を奪われたのは、こうした数だけではない。
少女たちの顔写真。
そして、そこにつけられたコメントだ。
たとえば、「とてもきれい好きで、いつも身の回りを整えていた」とか、
「闊達で、いつも周囲を笑わせていた」とか。
ああそうだ。
それらは、ひとりひとりの生きた証。
彼女たちは、たしかにそこにいたのだと。
今のわたしとまったく同じように、息をし、考え、感じていたのだと。
なぜ、わたしは今のわたしとして生まれたのだろうか?
●ひめゆり学徒と沖縄戦についてもっと詳しく知りたい方はこちらへ

↑クリックすると、今日一日セクシーでいられる!(かもしれない)