体が自分の思うとおりにならない、
というのはきっと辛いことだろうとおもう。
同時に、体が自分の思うとおりになりすぎる、
というのは心を抑圧していることになりはしないか?
やりたくないこと。
すきじゃないこと。
きもちわるいこと。
そんなウゾウムゾウの事柄を。
「やらなければいけない」という自分以外の何者かから与えられた力で。
心の声を聞くことなく、体を動かし続ける。
心の動きに体が敏感に反応する人は。
それが、できない。
心に逆らおうとすると、体が反逆を起こすから。
でも。
それって、もしかしたらものすごく幸せなことだ。
そういえば、うちの弟もそういう人だったことを思い出した。
中学校にいた頃、調子が悪くてよく学校を休んでいた。
高校に入った直後、
「ここでは僕が勉強したいことができない」と言って学校を辞めた。
早稲田高校だった。
英語の単語ひとつ、歴史の年号ひとつ。
興味のないものは、絶対に覚えられない人だ。
誰かから無理強いをされたり、無意識に自分でそれを強いたならば、
体にそれが現れる。それはもう痛々しいほどに。
それは果たしてわがままなんだろうか?
心が弱い証拠なのだろうか?
たぶん。正直なだけだろう。
限りなく器用貧乏で、やりたくないことでも他人よりうまくできる
自分がもし一人っ子だったら、とおもうとぞっとする。
きっと私は一生そういう人のことを理解できずにいただろう。
「なぜできないのか?」と人を責め、見下すことになんの疑問も
抱かずにいただろう。
私は、彼と姉弟という関係で出会えたことに心から感謝する。
たぶん、姉弟じゃなかったら、絶対に出会えない人だから。
(だいたい彼のような人がそんなにいるとも思えない)
姉に、兄に、人格的な影響を受けた人は多いかもしれない。
わたしは、誰よりも弟から。
別に、他人が何を考えているのかわかるわけではない。
むしろよくわからないことのほうが多いけど。
ただ、そのまま。
異質なものや混沌と「共にある」ことができる。
彼はわたしを形作ったひとりである。
投稿者 遙 : 2005年09月27日 14:20 | トラックバック (12)