「守破離」
この言葉を耳にしたことがありますか?
足利三代将軍義光時代に「能」を完成させた観阿彌・世阿彌親子が、
道を極めることを表現した言葉です。
「守」すなわち、師からの教えを忠実に学び、型、作法、知識の基本を
習得する第一段階。
「破」すなわち、より一層の経験と鍛錬を重ね、師の教えを基礎にすえ
ながらも、それを打ち破るように自分なりの真意を会得する第二段階。
「離」すなわち、これまで師より教わった型や知識にいっさいとらわれる
ことなく、思うがままに自分自身の至芸の境地に飛躍する第三段階。
私は、柔道をやっていたので、この言葉に痛いほどリアリティを感じ
ます。未熟な頃というのは、概して勝手にわけのわからない技をあみ
だしたりしがちですが、これが完成されることは決してありません。
一方で、長い年月を通して、多くの柔道家が繰り返し繰り返し行って
きた営みを正確に反芻し、「形」を覚えることの大切さ。「打ち込み」
といって、投げる寸前のところまでの動作を繰り返したり、古典の形
を学んだり。ときに退屈に思えるような動作ですが、改めて眺めて
みると、一切の無駄というものがありません。
そして、「破」。正確なコピーを繰り返すことの中から、その真意を
汲み取り、自分の技にすること。「腑に落ちた」状態。
最後は、「離」。この段階では、まったく独自の世界を創造していく
ステージになります。姿三四郎の「山嵐」はまさにコレでしょう。
能や柔道に限らず、こうした「守破離」の考え方は、数多くのシチュ
エーションに当てはめることができますね。
ぱっと頭に浮かんだのは、経営の「守破離」
成功している人から、その本質を学び、そしてその考え方に自分の
強みを融合させて新しいモデルや新しい事業を生み出していく。
どうしても、成功している人が挑戦した「破」や「離」の部分に光を
当ててしまいがちだけれど、私にとって今大切なのは「守」の部分。
オーソドックスでいい。
当たり前でいい。
ただ、本質的であればいい。
[あなたのクリックを待っています★いつもありがとうございます!]