2005年04月29日

「守破離」の心得

「守破離」

この言葉を耳にしたことがありますか?

足利三代将軍義光時代に「能」を完成させた観阿彌・世阿彌親子が、
道を極めることを表現した言葉です。

「守」すなわち、師からの教えを忠実に学び、型、作法、知識の基本を
習得する第一段階。

「破」すなわち、より一層の経験と鍛錬を重ね、師の教えを基礎にすえ
ながらも、それを打ち破るように自分なりの真意を会得する第二段階。

「離」すなわち、これまで師より教わった型や知識にいっさいとらわれる
ことなく、思うがままに自分自身の至芸の境地に飛躍する第三段階。

私は、柔道をやっていたので、この言葉に痛いほどリアリティを感じ
ます。未熟な頃というのは、概して勝手にわけのわからない技をあみ
だしたりしがちですが、これが完成されることは決してありません。

一方で、長い年月を通して、多くの柔道家が繰り返し繰り返し行って
きた営みを正確に反芻し、「形」を覚えることの大切さ。「打ち込み」
といって、投げる寸前のところまでの動作を繰り返したり、古典の形
を学んだり。ときに退屈に思えるような動作ですが、改めて眺めて
みると、一切の無駄というものがありません。

そして、「破」。正確なコピーを繰り返すことの中から、その真意を
汲み取り、自分の技にすること。「腑に落ちた」状態。

最後は、「離」。この段階では、まったく独自の世界を創造していく
ステージになります。姿三四郎の「山嵐」はまさにコレでしょう。

能や柔道に限らず、こうした「守破離」の考え方は、数多くのシチュ
エーションに当てはめることができますね。

ぱっと頭に浮かんだのは、経営の「守破離」

成功している人から、その本質を学び、そしてその考え方に自分の
強みを融合させて新しいモデルや新しい事業を生み出していく。

どうしても、成功している人が挑戦した「破」や「離」の部分に光を
当ててしまいがちだけれど、私にとって今大切なのは「守」の部分。

オーソドックスでいい。
当たり前でいい。
ただ、本質的であればいい。

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投稿者 遙 : 2005年04月29日 23:56 | トラックバック (10)
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