「すこさんらしくない」
そんな言葉に、ここ最近2度出会いました。
まず感じたのは。
言ってくれた方に対するものすごく大きな感謝の気持ち。
だって、誰かにたいして、「●●さんらしくない」って伝えることは、
たぶんものずごく勇気がいることで。その人のことをよっぽど身近に
知っていると感じられて、しかも本気で信じていなければ、できない
ことだとおもうから。
まずそんな風に伝えてくれる人がいることってすごい。
そう感じました。
私には。
そんな風に自分が感じたときに、
そのままを伝えることのできる友人が、
いったい何人いるだろうか?
そして。
改めて。
「すこさんらしい」とはいったいどういうことなのか?
考えました。
自分でも笑ってしまうくらいに。
言葉には、ならない。
そして、気がつきました。
私が文章で表現しているすべては、リアルでありながら虚像。
私が語る言葉のすべては、本物を忠実に映し出す幻想の影。
それは、決していい意味でも悪い意味でもなく。
水のように、空気のように、透明な事実。
なぜなら。
表現は本質を凌駕できない。
やはりそこにいきついてしまうからです。
すこはるかの本質は、表現という形をとった瞬間に、
なにか、うすい膜のようなものにやわらかく包まれる。
その膜は、ときに色を変え、質感を変えながら。
そんな感覚は、ひとつの世界観を彷彿とさせずにはいられない。
プラトンのイデア論。
すべての物事には「イデア(完全なる本質)」が存在する。
その影の投影がこの現実社会の物事である、と。
そして、人間の持つ感覚は不完全であるため、
わたしたちの五感によってイデアを捉えることは出来ない、とも。
イデア論自体は、その矛盾を明確に指摘される哲学論ですが、
その考え方の基になったのは、もしかしたらこんな心身の感覚だった
のかもしれない。
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