雨に濡れた紅梅が目に飛び込んでくる。
わたしの記憶がフィルムのようにくるくると巻き戻される。
去年のちょうど今頃、友人に宛てて書いた文章が懐かしい。
***
今では、「花」と言えば桜を指すことが多いのですが、万葉の時代
「花」と言えば梅でありました。元来梅は中国から渡来した木で、
「うめ」という名も実は中国語の「メイ」に由来しています。
そして、当時は大陸文化への憧れを象徴する花として好まれていた
のです。
梅を詠んだ歌でもっとも有名なのは、菅原道真が詠ったこの歌かも
しれません。「〜な〜そ」という禁止表現を古文の時間に学んだとき
の記憶、残っていますでしょうか・・・。
「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花
あるじなしとて春なわすれそ 」
(永かった冬の終わりを知らせる風が東の方から吹き始めたら、
咲き香って、その甘い香りを遠い土地に住むことになった私にも
届けておくれ。梅の花よ、たとえこの私が居なくなっても春を
忘れないで花開いておくれ)
これは、道真公が大宰府に下るとき、京の紅梅殿の梅に別れを惜しみ
詠んだ歌で、その数年後に、彼は大宰府で亡くなります。
主の死を知った京の梅が、一晩のうちに空を飛んで大宰府に来て
花を咲かせたという「飛び梅」の伝説が現在でも語り継がれております。
こんな風に、自らの存在がなくなってしまっても、それでも変わらず
世の中に絶えることなく美しさと暖かさが続いて欲しいと願う心。
その心に触れるとき、静かな感動がわたしの胸を満たします。
紅梅の花言葉は「忠実」そして「誠実」。
どちらも「虚」に対する「実」を表す言葉であり、人間のもっとも
本質的な価値のひとつ。
ほんとうに世の中に忠実であり、誠実であり続けさえすれば、
いつか道真公のように自分がいなくなったこの世界にも
心からの暖かい祝福をささげることができるようになるのかもしれません。
***
昨年書いたものですが、今読み返してみると、また感慨深い。
この文章では、「誠実であること」の大切さを
「人からどう思われるか?」という視点ではなく、
「野心やエゴから離れて自分の心のステージをあげる」
という視点から書かれています。
つまり、誠実であることの目的は、
人から信頼されるようになるため、ということのみならず、
自分自身のエゴを乗り越え、
人を社会を世界を自然に愛することができるようになるため。
「誠実さ」のエッセンスは、
エゴに溢れた自分という存在を救ってくれる気がする。