最近ちょっと近所に出掛けるのに下駄を履いている。浴衣を着るとき
のために手に入れたものであるが、最初は履き慣れないと痛くなる
だろうと思って使い始めた。
と、これがどっこいなかなか快適なのだ。ビーチサンダルよりしっか
りしているし、蒸れることもない。しかも、なんとなく「粋」な感じ
がしてうれしい。
下駄生活を満喫していたら、ふと高校のときの校則のことを思い出
した。私の通っていた学校は、私服で、限りなく自由な学校だった
のだが「校則」が2つだけ存在した。
それが、
・下駄を履いて登校してはならぬ
・バイクで通学してはならぬ
という2つ。理由を聞いたところ、「うるさいから」だそうだ。
本気なのか冗談なのかよくわからない。
しかし、それ以外には、ピアスも茶髪もパーマもOK、授業も午後から
来たりする人がいるような、今思えば大学のような高校だった。
「自主、自律、自由」
それがモットーの学校だった。今思い出してもおかしいのが、
「うちのクラスで掃除をするかしないかを決めよう」
という議論をした記憶だ。「掃除をすること」が決まっていて、その
当番を決めるのではない。そもそも「掃除をする必要があるか否か」
を議論するのだ。当たり前だが掃除をしないと究極的に汚い教室に
なるので、いちおうやることになる。反対者はいない。そうすると
次は「週に何回、誰がやるのが適当か」という議論に移るのだ。こう
して決まったことの多くは、実行される。
そして、生徒も自由だったが、今思えば先生がいろんな意味で一番
自由だった。通常の教科書をイチページも開くことなく、延々と
「持続可能な地球」に関して語り続ける先生がいれば、「憲法改正
委員会」を授業で組織する先生がいたり、夏目漱石の「それから」
だけをひたすら読み解いたり、世界史なのにイスラム史しかやらない
先生もいた。
教科書を開くことのほうが少ないような授業ばかりだったけれど、
今思い返してもなんとも楽しかった。そこにはホンモノの学びが
あった。それは、なにより先生が自分の好きなことを好きなように
教えていたからだろうと思う。
なんだか下駄からずいぶん遠ざかってしまったけれど。
学校も教育も、もっと粋になればいいのに。
ふと、そんな風に思った。
[本日の日記に★ざぶとん一枚★]
投稿者 遙 : 2004年07月19日 00:07 | トラックバック (1)