外苑前のCopa Tokyoというブラジル料理(シュハスコ)のお店に行き
ました。久しぶりに豆を堪能。懐かしくっておいしかった♪
そのお店は外国人率の非常に高いお店だったのですが、どうもモデル
さんたちが集まるような場所だったようで、じ〜〜〜っと思わず見つ
めてしまいたくなるような金髪碧眼美男美女だらけ★
化粧品のCMに出てくるような、本当に、本当に美しい顔と体。
「こんなにキレイでも笑ったり、くしゃみしたりするんだー」とアホ
みたいなことを考えてしまうほど完璧に美しい。
あんな美しさと共にあるのはいったいどんな感じなんだろう?
そんなことを考えていたら、つい先日読んだ「ミスコン−mis-control」
という本のことを思い出しました。この本は、コンプレックスの塊の
ような主人公が、ミスコンに挑戦し続け、ついにはミス日本神奈川
代表の座にまでのぼり、スチュワーデスになって、愛を得、失い、
そして・・・。と非常にドラマチックな半自伝的物語。
その中で印象深い言葉がいくつかありました。
「ブスでも美人が集まるところに挑戦すればそこに属したことになる。
つまり、ブスではなくなるのではないかと思いついた」
主人公が最初にミスコンに出ようと思ったときの回想。まわりの皆が
冗談だと思って笑い飛ばし、ましてや誰一人としてミスコン候補に
推薦してくれるような人もいない状況の中で。
それでもこの言葉にはどこか真実が含まれているように思えてなら
ないのはなぜだろう。自分のなりたい像に近い人たちの側で生きる
ことは、たしかに彼らとの距離を縮めることがある。
「成功って、質じゃないのよ。時間の量、品数の多さ、挑戦の回数・・・」
これは、ミスコン荒らしのプロが口にした台詞。スッピンになると
タヌキ顔、完璧な化粧で和製オードリーに化けるという彼女がいう
言葉には重みがあります。量が質に転化する瞬間。
私は、いつも美しいということはひとつの才能だ、という風に捉えて
います。それは、数学ができる、とかサッカーが得意とか、それらと
まったく同じように与えられたギフト。そして、プロになる才能は
なくとも、努力して磨くことでそれなりの光を宿すことができるもの
でもあるのかもしれません。
自分の「美のモト」に時間も労力もかけていない毎日に反省(笑)。
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投稿者 遙 : 2004年06月28日 03:55 | トラックバック (133)