2004年06月07日

電池が切れるまで

電池が切れるまで−子ども病院からのメッセージ
すずらんの会 (編集)

テレビドラマにもなった「電池が切れるまで」は、長野県立こども病院の子供たち
が書いた詩集から。オトナでものたうちまわるような悪性の病気に苛まれる子供たち
のひとつぶひとつぶの言葉は、信じられないほどの透明感をもって心に迫ります。

「電池が切れるまで」の表題にもなった詩を作った少女は、五歳の時から神経芽細胞腫
という大変な病気を患い、十一才で短い生涯を閉じました。


宮越由貴奈

命はとても大切だ
人間が生きるための電池みたいだ
でも電池はいつか切れる
命もいつかはなくなる
電池はすぐにとりかえられるけど
命はそう簡単にはとりかえられない
何年も何年も月日がたってやっと神様から与えられるものだ
命がないと人間は生きられない
でも
「命なんかいらない。」と言って
命をむだにする人もいる
まだたくさん命がつかえるのに
そんな人を見ると悲しくなる
命は休むことなく働いているのに
だから私は命が疲れたと言うまで
せいいっぱい生きよう

そして、中学生の藤本君の「病気」という詩。

この病気は、僕に何を教えてくれたのか。
今ならわかる気がする。
病気になったばかりの頃は、なぜ、どうして。
それしか考えられなかった。
自分のしてきたことをふりかえりもしないで。
けどこの病気が気づかせてくれた。
僕に夢もくれた。
絶対僕には病気が必要だった。ありがとう。

そして、そんな子供を見守る親の思い。

五体満足で育っている子どもをもつと子どものいない人をうらやむことがある。
切って縫って体にきずをもつ子どもをもつと、
  元気で普通の子どもをうらやましく思う。
一生ハンディの残る子どもをもつと、一時の治療ですむ子どもをうらやましく思う。
余命宣告されたり子どもの死んでしまった親は、
   ハンディが残ってでも生きている子どもをもつ親をうらやましく思う。
子どもができない親は、産める親をうらやましく思う。
腹のそこから大笑いしているそんな時もよいけれど、
私はいつも微笑んでいられる一日一日、瞬間瞬間を大切にしたい。

人はどんなときでも人生に感謝して生きることができる。
そのことが。
誰のどんな言葉よりも強く、ハッキリと、伝わってくる。

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投稿者 遙 : 2004年06月07日 07:48 | トラックバック (8)
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