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体験談コーナー vol.2
コンサルタントからダンサーへ〜ゼロからリバーダンスへの軌跡(後半)
林孝之さん
眠れぬ日々
こうなれば、後は非常にスムーズで、とにかく教えられたことを練習することに専念すれば良くなった。僕が死守したのは、教えられたことは次の週には必ずできるようになっていることだった。
なぜか?それは、もしできなかったら先生は振付の難易度を落とすだろうと思っていたから。振付の難易度を落とすということは、そのレベルに達するまで、落とした振りの難易度で練習しないといけなくなる。そのレベルに到達するまでかかる時間が、どんどん延びていくわけである。
それよりも、こいつは見込みないと判断されて、プライベートレッスンそのものが終了することもありえると思っていた。また、やる気というのは口ではいくらでも言えるが、僕はきちんと実技をこなすことで、態度で伝えていた。実際それによって、信頼関係が生まれて行った。
言葉が上手く話せないから、よりどころはもう体で表現するしかないのである。
もしできなかったら・・・全ての挑戦はそこで終了するだけだ。 苦労してやっとつかんだチャンスは絶対に逃せない。 この頃の僕は、何か鬼気迫るものがあったと思う。
ステップのことを考えて眠れない夜も何度も経験した。朝までステップのタイミングがわからないため眠れず、ようやく朝にステップが見えて裸足でステップを確認してから少し寝た時もあった。
僕は、クールに見えるサッカーの中田選手や、野球のイチロー選手も実は凄い情熱を持っていると思う。ただそれを表に出さないだけで。
こういっている自分も先生のレッスンの前では、いかにも天才的な素質をもっている人間だと思われるように、余裕でできた振りをしている。先生に見抜かれているかどうかは別として。ただ一つ、そこで重要なのは、それが苦労はしていないと感じるかどうかだと思う。僕は先生を見つけるのに非常に苦労したが、ダンスの練習やレッスンそのものに苦労を感じたことは無いからである。それが情熱というものなのだろう。
惨敗スタート
こうして、9月中旬からレッスンを開始して、10月末の大会に参加することになる。3種目に出ることになった。大きく分けて基礎、初級、中級、上級と4つのレベルがあり、僕は中級からスタートすることになった。
一番低いクラスから出なくても良いのか聞いたが、やる必要なしと言われた。上級は中級で勝たないと出場できないので、実質現状で出られる一番上からのスタートとなった。結果は惨敗。
今振り返ってみると、いくら自主練習を積んできたとは言え、素人が5週間で中級レベルの3種目を覚えて大会に出たこと自体が驚異的だったと思う。また、初の大会で、自分では思っても見なかった重圧があった。周りはアイリッシュダンスを小さい頃から真剣にやっているアイリッシュ、観客はダンサーを含め、目の肥えたその両親、先生達。その中で一人、何やら場違いのチャイニーズがいるという雰囲気だった。
最初のダンスは接触して自分のダンスができず、2種目目に至っては、開始早々にステップを間違えてしまい、途中で没。
これが最初の大会だった。
ダンス生命を賭けた2戦目
次の大会は1月末。この大会は僕にとって非常に大きな意味を持つ大会だった。緒戦の惨敗から、2戦目、ここでなんらかの結果を見せないと、客観的に見ても、今後大会で活躍するのは厳しいだろうと思っていた。
結果、中級2種目参加で1位と2位。この勝ちは今でも非常に印象深い。
本当にシンプルな振りで、身体能力で勝ち取ったものだから。 大きな意味を持つという理由はもう一つあって、この大会の直前に、リバーダンスで踊るということがOlive先生から打診があったから。募集要項には、18歳以上のチャンピオンレベルダンサーというのがあり、駄目じゃないかと聞いたところ、「それは私の判断で決める、Takaはその能力があるから大丈夫。」と言われていたことがあって、そこまで期待をかけられて、今回この中級で勝ち負けできなかったら・・・というのが頭をよぎっていた。
もしここでまた惨敗するようなことでもあれば、練習では良いけど本番では駄目だというレッテルが張られてしまう、そうなったら今後大きいチャンスは逃げていくのだろうという風に自分で思っていた。
過程の信頼はあったけれど、結果と言う信頼がここでは求められていた。今振り返ってみると、2戦目は非常に大きな重圧のもとで力を出し切った、自分の中でベストの大会の内の一つにあげられる。
間違いなく自分で道を切り拓いたのだ。
これによりOlive先生からの信頼も得ることができ、リバーダンスで踊ることも現実的になったのである。
夢への扉
「Taka、リバーダンスで踊ってみたい?」
最初は何か聞き間違えたのかな?と思っていたが、そうではなかった。Olive先生の持っていたその紙には、Special
Olimpics World Gamesの開会式にリバーダンスが関与すること、そのメンバーとして、通常のリバーダンスのメンバーに加えて、18歳以上のチャンピオンレベルダンサーをFlying
Squad(特殊部隊)として募集することが書かれていた。18歳以上のチャンピオンレベルダンサーというところが、太字で印字されていたので、駄目なんじゃない?とOlive先生に聞くと、全てはOlive先生次第ということ。
その先生に認めてもらっているからには、余計に下手なことはできない。さて、このリバーダンスのライン、なんと100人、過去のアイリッシュダンスの歴史上で一番長いラインになるらしい。
観客は推定8万5千人、更にTV中継もされるとのこと。
これ以上の舞台はありえない最高の舞台。
夢への扉が開かれた。
それからしばらく時が過ぎて、ワークショップ形式のオーディションが行われる。ワークショップは自分では意外と楽しく感じた。というのも、レベルの高いダンサーと一緒に踊ると、とても楽しい!普段はソロダンスを踊っているため、あまり人と踊ることもないけど、リバーダンスの曲で皆そろってステップすると、何だかハイな気分。一つのステップ音の中に融合する感覚、今までに味わったことの無い不思議な、高揚する感覚だった。
そして、後日正式にFlyingSquadのCastとしてオファーが来た。アイルランドに来てから1年5ヶ月、最初は先生も見つからず苦しい時期もあった。先生についてからと考えると8ヶ月。そんな短期間で、リバーダンスの舞台で踊れるチャンスが来る、ということは常識ではありえない。きっと毎日頑張っていたのを神様が見てくれていて、少し早めにご褒美をくれたのだと思う。
夢の瞬間
21:50が予想出番だったが、実際は22:00過ぎだったのか、正確な時間はもう腕時計を外してしまったのでわからない。
いよいよリバーダンスの番だ。
初代リバーダンス主役ダンサーのジーンバトラーが、リバーダンスの紹介を行った。歌が始まると、観客席も静けさをうち、いよいよだなあという実感と、高揚感が嫌が応にも高まってくる。いつも競技では緊張するのだけど、この日は何というか、そういう変な緊張感は全く無く、内からパワーが沸々と沸いてくるのを感じた。
今日はきっと舞台で飛べる。
カウントに合わせて舞台に向かって行く。
とにかく初めはサイドから上がって行き、見えるのは反対側のダンサーだけ。そして、左ターンすると、目の前にはスタジアム超満員の観客が。とにかく笑うことだけ考えようと思っていたけど、自然と顔が笑ってしまう。
夢の時間は本当にあっという間だった。
この瞬間を夢に、全てを賭けて日本からやってきたけれど、本当にそれが実現してみると、嬉しいというよりも、やっと自分のアイデンティティを証明できたような気がする。長年に渡ってリバーダンスの主役を務めてきたブレンダン氏をもってさえも、「今までの舞台で一番シビれた舞台」と言わしめた、この歴史に残る舞台で踊れたことを誇りに思う。
新たな夢へ
夢は達成されたのだろうか?
自分ができると信じていたリバーダンスのステップ、そして実際にリバーダンスで踊るということについては、運も味方して確かに達成した。ただ、これが頂点なのか?というと、はっきりと違うと言わざるを得ない。それは実際に大会に参加してみて、ショーでは見られない怪物のようなダンサー達を目の当たりにしているからである。チャンピオンシップレベルの大会になると、一緒に踊っていてそれが良く実感できる。
リバーダンスがこの世に出たのが1994年のこと。それ以来、アイリッシュダンスは過去の趣味的なものからプロへの道が開けたために大会のレベルは以前に比べて比較にならないほど上昇したと言われている。そして今や3年離れると、もう何がそこで起こっているのかわからなくなる、と言われるようになった。僕は10年かかると言われているものが、良い先生についたからといって1年でマスターできたと思うほどこの世界を甘くは見ていない。よりレベルが高くなった今となっては、10年で標準ではないかと思うほどだ。予定の3年の間に今の高水準にどこまで近づけるのか、州チャンピオンシップで好成績をあげ世界チャンピオンシップの参加資格権を取り、そこで入賞するというのが今後の夢であり、それに向かって更なるチャレンジは続く。
まじめにやっていると、運はやってきていて、ひょんなことから今は3年連続で世界チャンピオンになった若きダンサーからも個人指導を受けている。ほとんど競技現役に近いこのダンサーから学べることは非常に大きい。夢の大きさも随分大きくなったが、当初の仮定条件だった週3日のプライベートレッスンを超えた条件を構築できている今となっては、必ずその場所へ辿り着けると信じている。
沢山の素晴らしいダンサーを見て、自分のあるべきダンス像をイメージし、それに限りなく近づくこと。そしていつか日本でこのダンスを広め、世界で通用するダンサーを育てていくことが、このダンスに対する恩返しだと思っている。
おわりに
経験もコネもなく、裸で世界に飛び出して、今に至りました。 コネはあったほうが良いと思いますが、今回僕の場合は、逆に無いことによって更に不屈の闘志を燃やし続けられる要因になりました。また、先生がなかなか見つからなかったことによって、逆に芯を強くし、さらに情熱も大きくなったと思います。
状況が困難になればなるほど、人は何かを試されます。分析や計算、確率だけでは上手く行かない、何か人智を超えたところに出くわした場合、最後頼れるのはもう情熱というか、執念しかないのかなと思います。究極を言ってしまえば、自分のやりたいように生きれば、何でも上手く行くのでしょう。元コンサルタントとしては、あまりこういう根性論みたいなものを唱えにくいところですが。
あとは、自分を客観的に見ることができないと失敗すると思います。クールに、でも芯はとことん熱く!このバランス感覚が大切ですね。日本で社会人生活をしていましたが、今振り返ってみると、本当に良い会社に入ることができたなと思います。特に新卒の人達は素晴らしい人材が多く、会社選びは間違っていなかった。沢山のパワーをもらうことができ、今の自分が居ると思います。
あなたの身近に、この人に不可能はないんじゃないかと思う人はいますか?そういう人に囲まれることが、自分の底力を高める近道だと思います。最後に、夢を実現しようという皆さんに、この体験記から、少しでもパワーをあげることができれば、嬉しく思います。
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