武士道は、ただただ上の言うことを聞くだけのイエスマンになるなという戒めでもあったようです。 「主君押し込めの慣行」というのがあって、主君が愚行に走ったときに協議し監禁するのです。しかし、非常にリスキーで、主君が自由になりたいために、「わかった」といって謝り、幽閉を解かれとたんに、家来を切腹させるということだってあるわけです。
だから、死ぬことを覚悟してでも、お家のため、また民のために、正義や自らの信じることを通せ、それが武士としての道だ・・・「武士道とは死ぬことと見つけたり」は、そういった考えだそうです。
侍がすくなくなってきましたね。