昨日の取材が終わったあと、なんだかものすごーく疲れていて、
「疲れたー」と言ってみた。
口に出した途端、この言葉、普段自分がほとんど使っていないと
いうことに気がつく。違和感があったからだ。
一番イヤな感じだったのは、口に出すことによって、
言い訳をしたい自分が生まれてしまったような気分になったこと。
「疲れてるんだから」と。
よく40℃近い真夏の武道館で柔道をしていたとき、
「暑い〜」というたびに、「暑いって言うな!余計暑くなる!」
というようなしょうもないことを言われた記憶があるけれど、
あながちまったく的外れではないのかも。
一方で、疲れている自分にちゃんと気づいてあげることも必要。
とりわけわたしのように、「疲れた」と言わないタイプの人は、
自分がほんとうは疲れていることにすら気づけないことがある。
そういう人は、自分で言うのもなんだけど、他人からみたら
「悩みがなさそうでいいよね〜」だの
「●●はいいよね、元気で。わたしなんか・・・」
と好き勝手言われ放題である。
まぁ、たしかに世界人口を100%としたならば、確実に上位1%に
入るくらい健康だし、極めてポジティブに物事を考えがちでは
あるけれど、そういうことはハッキリ言って他人には言われたくない。
わたしには、わたしの悩みも(いちおう)ある。
ただ、知っているだけなのだ。
「疲れた」という一言から何も生まれないということを。
|よい人生とは、苦しみのない人生ではなく、
|過去の苦しみに意味を見出し、
|感謝して生きていくことだと教わりました。
| 「あたりまえの日に帰りたい」 小林茂登子
上記は、骨髄性白血病に冒された女性の言葉である。

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