「ロールモデル」という言葉をよく耳にする。
手本となるような型であり、
「将来こんな風になりたいなぁ」という憧れ。
実はなんとなく、この言葉を聞くたびに、違和感が体を走りまわる。
世の中の見解とはかなり違うかもしれないけど、
今日は、あえてアンチテーゼを提示したいとおもう。
ロールモデルをひたすら追いかけるのは、なんだかさびしい。
自分の中に基準がなくて、誰かが作ってくれた基準が大切だから。
「あの人みたいになりたい」という気持ちは純粋かもしれないけど。
ほんとうは、自分の可能性を狭めているのかもしれない。
「あの人はもっているけど、わたしはもっていない幸せ」を
探し求めてしまうことにならないか。
誰一人、同じひとなんていないのに。
・・・そうか。
ひとりじゃなきゃいいのかもね。いろんな人のいいところを
組み合わせて、複数の人から学ぶということは確かによくある。
「誰かから学ぶこと」と「憧れること」が一緒になって見えるから
「ロールモデル」という言葉に違和感があるのかな。
世の中には、「ロールモデル」がたぶん必要なんだろうと思う。
いわゆる「前例」や「憧れの対象」ってものが。
世の中が進化していくために必要で、それ自体はまったく否定しない。
でも、正直を言えば。
わたしは「ロールモデル」からは自由でいたいよ。
「ロールモデル」の誰かを目指したいとは思わない。
また、誰かの「ロールモデル」になりたいとも思わない。
目指したり、目指されたりするんじゃなくて、
ただ誰かのために、一生懸命、生きたいよ。
それだけで十分だ。
十分、幸せになれる。

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すこさん
「誰かのために一生懸命生きる」というフレーズに共感しました。
自分に意識がいっているとき(例えば性格を変えようとか、完璧な自分になろうとか・・・)には、幸せ感は感じられないけど、人のために何ができるかとか、相手に成功してもらうためにどんなサポートができるのか、というようなことを考えている時ってかなり幸せを感じることができています。
相手のためにがむしゃらに与えて、気づいたら自分にも返ってきていた・・・という人生を生きたいと思うこのごろでした。
すこさんはそれがすでに実践できている人だと思います。尊敬しています。
Posted by: たけうち : 2006年04月12日 10:38