「ハッピーバースデー」という本を読んだ。
母親に無視され、うとまれて育ってきた少女が、
心や感情を開放していく物語。
子供を嫌悪してきた母親が、
痛みを伴いながら気づきを得ていく物語。
そして、彼らをとりまく家族や愛の物語。
読んでいく中で、何度も涙を流しながら。
ふと。
わたしは。
ほんとうの意味でこの少女の気持ちを理解することは
できないのではないかと思ってぞっとした。
愛を燦燦と受けて育ってきた子供に、
愛に飢える子供の気持ちが果たしてどこまでわかるのか?
「共感する」とはどういうことだろうか?
それは同情とは違うなにか。
同じ感情を持ち得ないひとりひとりだからこそ。
「共に感じる」ことに近づこうとしているその瞬間だけが、
赦しを得ることができる唯一の時間なのかもしれない。
私も「1リットルの涙」を読みかけているのですが、それに近い心境を感じています。亜也さんのつらさ・悲しみを、私がわかり得るはずはないんだけど、何とかわかろうとする思い。
今の私にできることは、この視点をできるだけ多くの人に伝えることだけかもしれません。