2005年02月15日

本物のパーソナライゼーション

人脈の広い人から個人宛にやたらマメにメールが来ることがあります。
大抵の場合、「同報配信」というものを使っていると思って間違いない。
つまり、「●●さん」の部分を差し替えて同じメールを多数に配信して
いるということです。

そこになにかフクザツなものを感じてしまうのは私だけでしょうか?

別にたくさんメールをいただくこと自体は悪くないと思います。大抵
そういう人のメールは結構面白い内容のものですし。それに、連絡を
くれないよりはくれたほうがいいに決まっています。

しかし、このもやもやはいったい何でしょう?

配信しているほうは、ひとりひとりの顔を見ずに出しているのに対して、
受け取った側はあたかも自分だけに宛てた内容であるかのように錯覚して
しまう。その構造にはどこかに不公平感がつきまとわないでしょうか?

いっそBCCであればオープンに「みんな宛てです。返事くれなくていい
けどみんなに伝えたかったんだ」という気持ちが見えて、そうした
不公平感は薄れると思うのですが。

パーソナライズするための機能や商品は世の中に溢れている。
しかし、パーソナライゼーションの本質、
すなわち「ひとりひとりのことを心から考えるプロセス」がなければ、
そこに感動が生まれることはない。

それって、企業が「パーソナライズしたサービス」を提供しようとする
ときもまったく同じなのではないかと思います。「名前を入れられます」
「あなたにあったプランを作ります」というのはよくあるけれど、それが
システム化され、ひとりひとりの顔が見えなくなってしまったその瞬間に
無機質な存在になってしまう。

逆にもともとは定型化されたサービスであっても、ひとりひとりのお客
さまにとって「ほんとうにいい」と思えたら、ルールに捉われすぎず
パパっと現場で柔軟に対応する。そんなサービスのほうがはるかに
「自分のためにある」と感じてもらいやすいのではないでしょうか?

本物のパーソナライゼーションを
いつでも提供できる存在になりたい。

自戒を込めて。

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投稿者 遙 : 2005年02月15日 07:35 | トラックバック (1)
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