いつも楽しみにしている"ビジネスブックマラソンに紹介されていた
「希望格差社会」という本を読みました。
パラサイトシングルという衝撃的な言葉を生んだ山田昌弘氏の著書。
職業・家庭・教育、そのすべてが不安定化しているリスク社会日本。
「勝ち組」と「負け組」の格差が、いやおうなく拡大するなかで、
「努力は報われない」と感じた人々から「希望」が消滅していく。
将来に希望がもてる人と、将来に絶望している人の分裂、
これが「希望格差社会」である。
さらに、この絶望した人たちがフリーターやニートとなって今まで機能
していた社会システムを崩壊させていくだろう、というのが主な論旨。
様々なことを考えさせられました。
●リスクとは何か?
「前近代型社会においては、『あえてする』という意味でのリスクとは
無縁であった。なぜなら『人生を選択する』という概念自身が存在しな
かった故である」という記述を読んで。
そうか、「リスク」というのは選択肢があるからこそ生まれた考え方
なんだということに気がつきました。選択肢のない状態でのキケンは
「デンジャー」であり「ハザード」なのです。
私は「そんなリスクのある選択肢を選びましたね」とよくいわれますが、
自分の中では「これだ!」という気持ちが強く、もはやそれしか選択肢
がなくなった状態だったなと。だから私にとっての起業は「リスクを
とった」という感じがしないのだろうと妙に納得。
●努力すれば報われるか?
筆者は、今の日本のシステムにおいては
「努力が報われない人がいるのは当たり前だ」
と書いています。
「すべての人が希望通りの職に就けるわけではない。希望の職に就けない
人が発生するのは、当然の帰結である。問題は、そのあきらめさせ方に
ある」
私は「実行し続ければ、必ず自分の満足できる結果を得られる」と信じて
いるところがあります。つまり努力に希望を失っていない。しかし、
それは「私だから」そう思えることなのかもしれないと考えたときに、
自分はもしかしたらものすごい勘違いをしているのではないかという
気持ちになりました。同時に「努力すれば報われる」という表現に少し
違和感を感じたのです。
それはいったいなぜか?
以下の文章を読んだとき、やっとその違和感の正体がわかりました。
「ある若者にインタビューすると『努力を要求されることに疲れ果てた』
という答えが帰ってきた。努力すればなんとかなると言われ続けて勉強
してきたが、結局、職や生活の見通しもつかない状態になり、それも
『努力しなかったからだろう』と言われるのがもっとつらいと語っていた」
「努力をすれば報われる」
というのは、自分が「努力」を差し出すと神様か誰かが「得たいもの」
を与えてくれる、というニュアンスがあるのです。だから、それが得ら
れなかったときには「信じてたのになぜ?」という不信感や希望の喪失
につながる。
こうした「努力に応じて結果をもらう」という考え方は、学校教育の中
で「努力して覚えたらそのご褒美として点数をもらう」という習慣に
慣れすぎた弊害かもしれません。
私の感じるのは、結果は努力に応じて誰かが与えてくれるものではなく
て、あくまでも「自分が創りだす」もの。だからこそ、その手の中に
ある結果が、どんな結果であったとしても、自分が自分の努力の量や質
に納得がいっている限り必ず満足できるのです。
たとえ私が精一杯がんばった結果、もともと欲していたものが得られな
かったとしても、だからといって社会や人生に希望を失うことはたぶん
ない。また、「自分の得られる結果」と同時に、努力そのもののプロセス
や、結果が自分以外の人や社会に及ぼす影響に価値を感じられれば
「希望」はやっぱりそこにあるような気がするのです。
なんというか、うまく伝えられた自信はあまりないのですが。
みなさんはどうお考えですか?
[ブログランキング★応援してね★いつもありがとうございます!]
僕は、「努力をすれば、努力しないよりはよい状態になる」と信じてますし、それが「報われる」ってことだと思ってます。それに、努力は自分との戦いであり、誰かに要求されるものでもないと思ってます。
「努力が報われる」という言葉を、「目標が達成できる」ととらえるなら、報われないことがあるのも仕方がないかと。
始めまして、私も近いテーマのブログを運用してます。
これからも宜しく御願い致します。
ハルカちゃんの言ってることすごく良く分ります.
研究室で後輩を指導する立場にいるんだけど,
なんとなく最近の学生の「努力」の仕方に違和感を感じていて..
僕自身は多分ハルカちゃんと同じようなイメージで「努力」を捉えていて,
(特に「実行し続ければ、必ず自分の満足できる結果を得られる」という所)
それを当然のものと思っていました.
でも,実際それを後輩に伝えようとしてもなかなか分ってもらえないことが多くて困っていました.
この文章を読んで,自分が持っている「努力」のイメージと後輩のイメージにどういうギャップがあるのかすごく良く分った気がします.
これからの指導にとても参考になりました.
はるかさんへ
初めまして!
Youth(ゆーす)といいます(^^)
【努力】って言葉がでてきたので
つい、コメントしたくなりました♪
私も【努力】に対して、思いをはせることがしばしあります。
私にとっての【努力】の定義とは
『目的のため、力を尽くす』
なので、行動の一種として考えています。
だから、人によって目的はそれぞれだし、
どれだけ努力をしているかについても、
主観的にしかわかりません。
他人が『お前は努力が足りないんだ!』
なんてこと言うのも、ナンスセンスかな〜。
『努力が報われるか』については、
努力という行動に、結果あるのは必然。
ただ、それが報われるかは別問題だと思うんです。
<例:ヒッチハイク>
Aさん、Bさんが同じ目的地へヒッチハイクで挑みます。
−10時間経過−
二人の目の前を計100台の車が通過しました。
いまだ車がつかまりません。
ここで、Aさんがついに諦めてしまいます。
Aさんが帰ったあと、101台目の車がきました。
なんと!101台目にして、Bさんがヒッチハイクに成功!!☆
さてさて、どっちが努力したんでしょうね〜
一ついえることは、Bさんが目的を諦めなかっただけ。
言葉の捉え方って、人それぞれで面白いですよね(^o^)
長文失礼しました〜
Posted by: Youth : 2005年01月19日 23:39みなさん、貴重なご意見ありがとうございます!
>おおたさん
「それに、努力は自分との戦いであり、誰かに要求され
るものでもないと思ってます」という言葉、とてもいい
ですね。そのとおりだと思います
>柏木さん
どうぞよろしくおねがいいたします!
>とうた
リアルな現場で体験しているんだね!
またどんなことがあったか教えてください★
>Youthさん
はじめまして!わかりやすいエピソードありがとう
ございました。「努力」って、「考えて」しまうと
むずかしいですね。